MIKIHIKO KYOBASHI

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国芳の水と刺青

国芳の水と刺青

1797年 京紺屋の柳家吉右衛門の子供として日本橋で生まれた
国芳さん

秣(まぐさ)を商いとし、狂歌師 梅の屋鶴寿が長きにわたり
国芳を助けた友でもあったという

30代に描いた通俗水滸伝が江戸の職人や男達の流行の刺青も
この今の中国の水滸伝を大判の越前のコウゾの紙と桜の版木に彫り
摺った作品が大ヒットしたという

1827年にこのシリーズが5種類売り出され
翌年の約2年間
1828−1829年に摺られた画面を覆い尽くす絵と鮮やかな色彩は
江戸っ子達の胸を魅了し
版木がすり減るまで摺られたらしい
(通説では1枚の絵に数十枚の版木あり、1種類の完成した1つの図柄は200枚程度は摺られたと言われていますと
浮世絵屋さんにお聞きした)

しょうこうざん の麓の人
もっとも勇にして全身雪のように白く
水に浮かむこと四十五里にしてつかれず
水底に沈む事七日七夜にして去(さら)につかれず
杭州戦の北新橋西湖の水門をくぐりて敵城へ忍び
湧金門の水門を破る後に金華将軍と号す

魚問屋の親方で
水になれた達人、独り敵の城の水門を破り入ったが
敵の弓矢、投石などの集中を受け水中で亡くなり
死後神となった

今から198年前に江戸で製作され
海外に渡り
日本に戻って来たらしい

額のない時代
江戸は火事や震災、カーチスルメイが進めた
ジュネーブ協定無視の一般人をも殺した東京大空襲(なぜか後に勲一等旭日大綬章)
原爆の設計をアメリカに売ったスパイ湯川秀樹も謎

マッカーサーらが天皇陛下に
日本が作った原爆が落とされてどんな気分だ?と言った
記録があるらしい

結果、相当数の浮世絵や骨董が廃炭となったのだから
疎開していたわけだ

多少文字の部分は擦れ
目の部分も黒くつぶれ
初摺りではないが
いい色と、紙もあまり切られていない

何人の人がこれを家に持ち帰り
手にとってみたやら
江戸っ子のDNAや指紋は残っているんだろうが

水の表現をした彼らの感性はすごい
画面がいっぱいなのに窮屈な感じがしないの不思議です

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