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意図しない写真
無の写真
見ないで押す
水に気配を溶けこます
人間を忘れる
今年は縦のいいのが写ったらなー
海に四季があるのか?
波に四季はあるのか?
海にはあるが
魚にはない
波に四季はないが
波は無であり
自由自在な水の分子の波動のエナジーに
純粋に反応した姿
姿は見た瞬間に
過ぎ去り
写真が高速なその瞬間を止めたわけだ
儚さ
詫び寂
臨済宗で修行した利久さんは寂てるな
と
全ての色を排除した黒い楽さんの茶碗や
茶室に我々にその漆黒の時間をとめ誘い導いている
弟子の織部さんは
茶室も窓を設け光や自然美を取り入れ
刺身や懐石料理という言葉もない時代に
客をもてなし魅了したらしい
茶碗もあえてつぶしたような形にしたり
歪みの美
花鳥画や猿やつるし柿など
独特な雅致溢れる絵を
本人は描かず、どうやって打ち合わせをし
美濃の陶工などに
下絵を描かせ釉薬遊ばせ
器を見ればわかるように線が自由で固まっていない
妙絶な歪みの美
描こうとして書いてない
窓を見て写した写真のような
あざとさや気持ち悪さがない
さっさと迷いなく全てが自然に走っている
銀座久兵衛の初代と深い心を通わせた
懐石料理は魯山人さんが始めたと言われ
未だに、自分たちの料亭で使う器を全て手製で
作りだしたのは魯山人しかいない
若き時、料亭 山の尾の太田多吉さんが
木地師に数年がかりで、大ぶりな鴨を入れる汁腕や
皿を注文していたの見、四季の天然の本物の料理の生まれ
食していたことも
星岡茶寮の礎になったわけだ
轆轤以外は全て彼の手と感覚で
篆刻や書や骨董や琳派など様々な知識で
一気に出来上がった
から
絵や文字や皿の形など
それまでのものはは明らかに違う自由と遊び
無意識な美しい線に豊かな海や山を感じ取れる
日本の海の四季とは?
景色は海藻とプランクトンの濁りや
冬の冷たいみずで死滅した彼らのいない透明な海
冬は冷たい
水も硬い温度で水分子は変わり塩加減も影響している
波が硬い
夏は暖水 水はゆるく濁っている
フィジーなどはそれでも波のエネルギーと水分子にゴミがなく
水素結合力や離反力もすっきりと
速く、固いから
これは感覚で
海はその土地の声や祈りを聞き
留まっている何かが存在する
それは水ではなく
動かない海底やその土地なのかもしれないが
僕は海が違うと思う
日本の波に惹きこまれ
海外は興味がなくなったのは2016年ごろから
太陽光と宇宙の影の
変化が、後で写真からも感じ見れる
何か日本
独特な色彩とは何かしら
生きた何かが1枚に包括されている気がする
写真は僕は真冬に撮っている
誰もいない日も多く
オゾンの満ちた冷たい砂や岩を歩いて
行く海岸線
夜明け前は誰もいないのもいい
独りがいい
見ないで押す
泳いいで潜り生きる工夫をする
大自然の波や宇宙に身を委ねる
古武道と同じ
円運動で波をかわすとは
交すとも感ずる
臨済宗の僧がいう方丈
七面山の日蓮宗の山寺の額にある感応
日本人は古来から四季と宇宙や滝や海や山や石や風に
身を溶けさせ、変化し
呼応し感応し、慈しみ心身を寄せて
即して行った地球でも稀有な独特な民族である
日本を知ることは
自分を知ること
遠いところに
旅へ行く必要はない
手の届く
一呼吸、間を観ながら
動くと
届くのではなく
在るにことを知る
黙って泳ぐ
黙って座禅する
黙って自然に入る
それぞれの道
は自由自在に在る一つの方向にきつく
手に入れようとしない
写そうとしない
描こうとしない
なんて書きながらも
今年は縦にカメラを向けて 縦の絵残す!
というのは作為なのでしょうか?
一休さん?










