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子供の頃から海で遊んでいた
生まれた茅ヶ崎の海は黒砂で
急に深くなる
数回入った記憶があるが濁っていたし
不気味だった記憶しかない
団地からクネクネと路地を抜けると
柳島の厳島神社には当時ジャングルジムがあり一人で
自転車で来ていた
失礼ながら龍神様や天狗さんに
もちろん手を合わせることなど
子供の頭にもなかったが、15年前から御神酒や供物と
ご挨拶に行く
父方の先祖は八幡神社の宮司だが
お祈りや参拝は
親が教えてくれるわけでもなかった
東京のおばあさんは先祖を敬い
お不動様を信奉していて
成田山へ行き
ほんのり甘いボソボソした
落雁を初めて食べたのを思い出す
海が人を左右する
子供ながらに思ってたのは怖さ
生きる死ぬがある
絵も言えぬ心地よさ
自由自在な魚の世界
魚の名前を覚え
魚を水槽で飼う
魚をつかまえる
捕まえた魚を様々な調理で食べてみる
アブがよく海にいたから潜って逃げたか
噛まれると痛い
足の長いアンドンクラゲも痛かった
磯で石に乗ったら石が動いて
足に牡蠣殻や様々な石灰質の殻で足を切り
苔で滑り腰を擦り剥き
磯で海の流れを感じながら水中眼鏡が必ず
ないと海に入らず
2本の網と、海で拾ったあわびオコシを海パンに差し込み
足のつく岩から岩へ水中で移動して夕方までふやけるまで数時間海にいた
そうして海を知り
海の危険も感覚的に覚えていく
夕暮れの迫る冷たい風の海に怖さを感じる
1日の満足感と疲れ
シャワーなんかないし浴びないのが当たり前
闇が迫る深い青黒い海が怖かった
砂浜や海の家に行った記憶はなく
もっともなんで同じ年の子供が
あんな汚い、人まみれの砂浜で浮き輪で遊ぶのか
不思議だった
岩場の方が
水が澄んで魚も海藻も様々いるのに
あの子たちはどうしてこないんだろうな?
と一人で無人島で遊んでいた
渡船で渡してもらい
親たちも近くにいたが
ほとんどほったらかしで
きっとあの子は大丈夫かなと、見ていたんでしょうが
ビニールのバケツに魚を入れ
海水を帰り際に交換した
今思えば、プラスチックのバケツにすれば良かったが
頭が回らず
途中電車が揺れ、海水をこぼしたりしながら
電池の酸素を送るポンプ(ぶくぶく)を横のぽけっとに入れ
田舎の海の家に電車とバスを乗り換え4キロぐらいのビニールのバケツを大事に持ち帰った
でも山の家に帰る頃には死んでいたりした
かわいそうだっが
持ち帰って東京の海水魚の水槽で飼う気でいた
大きくなったら海とか関わりたかった
大きくなったら何になる?
と小学校で文を書いたが
当時は水中カメラなど知らないので
漁師か釣具屋しかないと思っていた
あの山口の田舎の海
壇ノ浦を望む山の一軒家で料理の先生のお婆が
穴子を捌いて、頭や骨でツメを作り
ウニやひらその刺身が何よりの楽しみだった
山にはマムシもいた
欠かさなかったのが、朝一へいき
道にいた行商のおばばの魚を見て買ってもらい食べること
毎日、バスと電車と歩きと漁船で二時間くらいかけ海へ通い
そして赤間神宮の裏の、耳なし芳一と平家の怨念?とさびしさが留まる
お墓へ行くことだった
関門海峡の汽笛と
様々な船が行き交う潮や北九州の山並みや工場の明かり
思い出は生きて今もある
下関に住みたいなと今も思っている









