MIKIHIKO KYOBASHI

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浪裡白張順 芳年

浪裡白張順 芳年

銀座6丁目は
昭和10年1935年 12/1に
銀座久兵衛さんの初代 今田壽治さんが
お店を開かれた場所

秋田から様々な不安や冒険で
木挽町の寿司店 美寿志へ丁稚奉公で修行され
昨年で90年を迎えた

やがて魯山人が現れ
長きに渡り交流が続き
皿や器を置いていったという

僕はそのお孫さんにあたる3代目と
2代目の女将さんに
写真を置いていただいている不思議

曾祖父さんはその後
魯山人が窯を構えた北鎌倉の山崎の
近く、円覚寺隣の臨済宗の寺の下
岩をくりぬいたトンネルのあった
池のある日本家屋に住んでいて

遊びに行くのが楽しかった

近くには北鎌倉にも家のあった呪術師
安倍晴明の石と狐のお母さんの墓と素戔嗚=牛頭天王や国常立=大国主を祀る
雲頂庵がある(出雲大社 北島家様に写真をご奉納させていただいたのははこのご縁があるのか?)

僕のおばあさんは新橋生まれ、新橋育ち毛利の家系
曾祖父さんは長野から出て来て
ステンレスの厨房の会社を明治に初め
雀荘 雀を日本家屋で開いていたという
からもしかしたら一度はお邪魔したのかも知れない

話はこの浮世絵に
銀座6丁目で1839年吉岡姓で生まれた月岡芳年さん

12歳の時、国芳さんに弟子入りするのだが
今で言えば小学生

絵が上手く、情景豊かな心で
15歳ですでに平家の3枚の浮世絵を描いている

これは余白に印刷者や日付の印がなぜかないが
明治21年の2月の松井栄吉版
の後の摺の長谷川常次郎版かは不明だが
初刷りではなさそうだが
種のパンツが後は濃い赤なため
真ん中より前か

僕の手元にある同じ縦2枚の文覚那智の瀧修行図は
明治20年9/1  御届 長谷川常次郎 と押してある

師匠国芳さんが30歳にに描いた渾身の1枚
1827、8年摺りの大判の張順から

明治20年の1887年の60年後に縦2枚で仕上げた芳年49歳
1861年に国芳師匠は鬼籍に入った後の26年後

明るく、弟子思いの師匠と同じく
芳年さんも弟子に囲まれつつ
その4年後の
精神病で入退院を繰り返し
1892年 6/9 54歳で亡くなった

師匠のつき
練磨と厳しい修行を積み重ね
独自の筆捌きと奥行きを開眼した芳年さん

古武道でいう
守破離

最初は師匠の教えをひたすら黙って守り修行し
やがてそれを破壊し練磨し

やがて独自の道へ離れていく

今は絶滅した
浮世絵の美しい時間と
これを買い求め、額のない時代に
どうやって飾ったやら
家に帰り手にとり蝋燭の灯火のした描いた芳年さんと同じく
江戸の灯火の中 美意識と審美眼を読めた江戸の人々

江戸時代に行ってみたい

水中眼鏡も水中のカメラもない時代
水の表現を、越前で手漉きで作られ
江戸まで、大八車か馬か歩いて運ばれた
当時の最大の紙の大きさがこれになる

尊い人々から人々へ手渡され
描き、版木に逆に1mmに3本線を彫れたという彫師
竹のバレンで1枚の絵に何十枚もある版木に
様々な色をつけ、時に布を押しつけ布目をつけたり
ぼかしたりと

職人の根気と創造力の豊かさに感服します

僕など
見ないで1瞬押すだけ
を思うと
お恥ずかしい

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