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手紙

果たして師匠と呼べるのか
生前、師匠と呼んだことがない
柏原さんか
オヤジさん
1年間 ユージンスミスのアシスタントをし
日本で撮影をしたフィルムが届くと命がけで現像をしたと聞いていた
いいオヤジだったなー
と口癖のように話していた
僕も柏原さんのスタジオにちょうど1年ほど通い
スタジオの光のこと、4×5 のカメラで撮る方法
ハッセルの扱い方
当時はデジタルもまだ出始め
大きな広告媒体は8バイ10 4の5(全てインチ)
で撮るのが普通だった
カメラのこと
フィルムの入れ方巻き方
ポラバックの扱い方
それは丁寧におしえてくれた
当時まさか
そんな料理のようにゆっくり時間をかけ
シャッターを押した時間が
消えていくとは
思いもよらなかったが
1998のある日
朝スタジオに行くと
あのな
キョーバシ君に言おうと思った
お前さんは最後の弟子だ
おれな
今日で写真やめるわ
えっ
やめちゃうんですか
そう
デジタルになってきてな
車もモデルもな後で色変えますから
1カットだけ撮ってくださいとかな
これからどんどんそうなる
値段も安くなるだろう
これじゃ
俺の腕のみせどころがないからな
つまらねー
あのないつも言ってうけどな
カメラは所詮道具よ
機械だからな
カメラに撮らるなよ
ファインダーなんか見ないで
モデル鷲掴みで
バーンと押せ!
あのね
やっぱりお前さん海へいけ
あと人な
人
何か写るよ
お前さんは
それから数年後
波を撮り個展に着てくれ
波の旅から帰ると
手紙が来ていた
開けてみると
初めて敬語で書いてある
書き足しなしの
そのまま思ったままに筆を
走らせた文章
師匠らしい文字
これが最初で最後の手紙
その後師匠は急な病で亡くなった
永久の別れになったが
この白かった紙の前に
柏原誠がいて
一気に憶いを伝えてくれた
1枚の紙が手紙になった
言葉をずっとそこに
残したかったから文字が生まれた
と白川静さんの本にあった
写真も全て
思いのまま、なりふり構わず まっすぐ行けよ
と今になってわかった
筆を使い文字を書いても
カメラを使い写真に撮っても
その人が現れている
映像ではない
1枚から読む大切さと審美眼
1枚が1枚の大切さをずっと教えてくれている
手前味噌ですが
波の中へ行く前に
パラオで14歳の時に4日間だけホームステーをさせてもらった
パラオの警察署長で島に1件のガソリンスタンド開いていた
海の男レイモンドアキヲさん
が2000年に亡くなったのがわかり
初めて電話をすると
電話に
アリー(もしもし)
みきはわかったのね
とママがでた
そして照りつける太陽の海軍墓地の一角の十字架の墓前で
あいに来なかったことや、つまらない写真しか撮れず
胸を張り見せれもせず
大切な人を失ったことを後悔した
一瀬泰造さんや澤田教一さん、キャパの写真にひかれ
本物はここだ、ここには命のかかる場に本物があると
戦場に行こうと思って
墓前で話かけていると
海へいけ
海の死ぬ可能性の高い場所へと
なんだか感じ
すっきりした
戦場という場に
写真の力を借り悲しみを撮りながら
自分は安全な場に帰るのは違うなと思った
他力ではなく自力で
死線をみるべきだと感じ
きっと死にそうな
波の裏へ裸で行く訳だ
1984年のあの暖かな笑顔とおおらかな優しさが
今も心にとまっている
1998年の親父の哲学的で豪胆で大胆な優しさも
同じ
彼らはみな年も何も背景は関係なく
そのまっすぐな気持ちで接してくれた
海は美しも
危険極まりない異界だが
海に礼をつくせば
海は全て見て聞いている
潮はめぐり海は還す












