プールから出る

太陽を写している
波の中には心身を投じていかねばならない
その先にある太陽と

地に足がついた
ところからの太陽は違う

同じだが違う
違うが同じ

同じものを見ながら
同じ時間を生きながらえ

ほんの数センチの角度や
波が崩れ、波に飲み巻かれたり
ちょっとした角度で逃げれたり

体と心の使いかたで
無限にある時間

ただそこで
思い切りやるかどうか

意識ではなく意志が大切

仏道でも神道でもキリストでも
人間界の迷いや、人がいいように解釈し
人工的に作ったルールが、そもそもの真理と神秘を濁す

他力でいいとか
南無妙法蓮華経が全てとか

山に登る方法が違うだけと
と例えもあるなと以前は思ったが

そんな遠回りな道を
誰かのいう通りやりことが
すでにずれている

自然を遠ざけ
遠ざけている暮らしが
宗教に寄りかからせる要因かもしれない

茅葺の家から今の生活にお時間

宗教者たちが考えすぎて捏ね上げ
解釈と方便ではあるが

何となく効能や実績があるから
誰もが入りやすいのかもしれない

黙って自然の中で
自分の感覚と胸でいけばいい
至って単純なこと

ガイドは時にして必要かもしれませんが

唯一無二の一つの頂上など
はなから無い

山という征服感に満ちた
目標をつくりがちな人間界

一つの山には稜線がり峰があり
川谷渓谷もある

満足いく到達点は決めなくていい
川でも隣の小さな山の洞窟でもいい
一歩勇気を持ち向かうことで
すでに周波数が変わっている

自然観=宇宙の呼吸

あまり衣装や意識で武装すしても
宇宙の真理には決して及べない

もし仏道者たちの師匠のお釈迦さんが言ったことを忠実に守り
再現していくのなら

「独で旅して悟れ〜」がどこに行ったのやら
 
「別に死んだ後も祀らんでいい」

親鸞も僕が死んだら
「鴨川に投げて魚の餌にせい〜」

が自然でいい

腑に落ちる

悟りという
言葉が随分広く解釈されてきている

言葉でそもそも表せないのだけど
それを表すために悟る行為を行う

結局
後の人々が本人の意向とはあらぬ方向に
作り上げていった仏 界

神社庁もいろいろありますが

その話は置いておいて

僕の個人的な感覚ですが

一人で旅をする
普段も群れない

宇宙に心身シンプルで行く
道具もシンプル

イカしたキャンプ道具はファッションに過ぎない
自然界の怖さと美しさに存分に溶け合う

これだけでいい
宗教は諸刃の刃

言葉は脆弱だということ

己の必死の体験と
日々の人間界の経験こそが宗教であろう

大金を払いネズミの仮装の国に行くよりも
海や川へ行く方が、どんなに普通のことを思い出し
自分の周囲のエーテル体やアストラル体が整うことか

宗教じゃないですよ ドイツ人だったか
キルリアン博士が見つけた
キルリアン写真と言って
生命の電磁場の話

ちぎった葉っぱは
その部分の電気が途切れ
写る

波動は同じような事象

変なお坊さんや
宗教はある程度で付き合い

自分で海の水に足をつけ
オゾンに満ちた潮風の波動を
胸いっぱい吸ったらいい

普段は僕は独り旅なので
誰とも喋らず
黙って海へ行く

電球がきらびやかについた
人気雨的な観光地も全く興味がない

これは生き方の問題で、良し悪しではないのですが
真如な自然美を受けながら、理解する時間が
極度に少ない現代人

都会の隠遁者でいい

だからアウトドアも変な言葉で違和感を感じます

太陽を見るプロセスが違うと
太陽さえその姿を変えます

全ては生きていて見て聞いている

ファインダーは見ないで押す

海の中の波動を一瞬に透過吸収した
1枚だからいつまでも見ていられます

作家とか写真先生の面倒な講釈も念も無い
天然の写真

最近は珍しくなりつつありますね

腑に落ちることで生きるだけ

間違えや悪には反抗し
サラリーマン侍にならないような子供たちが
増えないと、それこそ末法の世界です

忍たちが礼を尽くした
この宇宙と己への本心と欺瞞ない生き方こそ
もののふです

もちろん
彼らとて
独寂しい時は摩利支天の呪文を唱え
くじ切りをし、あくまでもそれらは心のお守りとして
常にありました

あまりそこだけの決まりやルールに、固執してしまうと
偏りが生まれ、目がとんがります

プールでどんなに早く泳げても
海で役にはたちません。

自由自在、融通無碍
常在を知る

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