幼い頃から海が自然に
好きだった
子供は遠い海へはいけず
茅ヶ崎の海は自転車で行った
途中、柳島の厳島神社が遊び場で
昔はジャングルジムが奥にあった
やがて5歳で東京に移民するとい
祖父の工場の2階には、
器用な祖父が作ったステンレスの手製の巨大な水槽が
部屋を埋め尽くしていた。
今覚えば魚と水がいつも生活にあった
熱帯の淡水魚と海の魚など
毎日、見るのが楽しみだった
祖父は昔、ザイルで山へのぼり
スキーや車を愛する人だった
海もよく連れて行ってくれた
真鶴の磯で一日中、網で魚を追いかけた
今思えば
足のつかない場所は
水中の岩のうえを移動し
動き回った動きが、撮影で生きているんだな〜と
憶います
ビーサンは脱げたり
足を切ったり
ラッシュガードもない時代
とにかく擦り傷が多かった
幸い溺れたことはなく
32歳の時に、冬のパイプラインの横で溺れたのが
初体験
その翌年
また今度はマウイのホーキパで溺れかけ
フイジーの沖で肺の酸素が全部出て、苦しくて
あと一発来たらダメかなというところまで溺れた
まさか大人になり溺れるとは
いい体験でした
海の動きは古武道や
35年ぶりに会った青山でバレースタジオを開く笹原進一君が
バレーの動きにも通じていると話していました
無駄なく
瞬時に体の力を
入れたり脱力したり
簡単に言うと円運動と律動です
昔、弟子にしてくださいと来た人が何人かいました
でも死ぬからやめなさい
と言いました
プールの水泳と
海の水泳は別世界です
心の修行もしないと
本当は、ど根性で前へ行けば助かるのに
心を折ってしまうのは自分です
どうしようもない力の中に
飛び込むので、入った瞬間に
もうあの世の入り口で
沖はさらにすごいです
そこに潮流や待った無しの大波や
サメや海底の岩や珊瑚など
敵が多すぎます
片手で泳ぐ僕が精一杯で
海で助ける自信がない
特に珊瑚の海など
叩きつけられたり
浅瀬で巻かれたら終わりです
もみじおろしです
話が相変わらず長くなりましたが
海は嘘もかけねもなく、人間界の浅はかな自分を
捨てないと死ぬからいいんです
浅はかな自分が死んで再生?なのか
真剣になるんです
生きる術を一生懸命駆使して
写真を撮り、また泳いで帰るのが
なかなか渋い
出れも見ていないので
完全な
自己陶酔です
いいんですね〜海は