写真は有機体だ
写真という言葉はのれぎぬ
機械は所詮機械だが、なぜ時間が止まり映像化、視覚化する仕組みと謎はここでは無視
つまり写真機=カメラは所詮道具でどんなカメラも同じ
使いやすさや、見た目はさておき記録装置
問題はレンズ
被写体にあった広がりや望遠を持つレンズが1枚の写真を決定的な1枚にする
写真には出会いがいる
人工物以外の事象は生きている
風景は刻々と変化し生きている
そこに風や波や太陽や生き物がいる
人も生き物だ
1枚の写真には感情や声が写る
涙や喜びも嘘はつけない
写真は嘘をつけない
ドキュメンタリーでなくてはいけない
というより、それ以外はないのだが
昨今の写真は加工された、人の思惑で捏造された
グラフィックな写真が多い
光が全て
影も光り
影と光を読む
波は透明だが
この写真のように影ができる
透明なものになぜ?
波は動いている有機体で
水素が結合しては離反する姿
透明なものに影ができる
水素の分子の隙間もある
反射や屈折や透過もある
言葉を並べたらキリがないが
太陽の光と波だけで
多様な色や黒い影がある
人間の目が良く出来過ぎで
暗いところにも光を均等に当てるから
見えてしまう
人間の見ている世界は嘘だということ
光は反射して人間にその色や形を見せている
レモンが黄色いのではなく
レモンが太陽光の7色を浴び
黄色い色が反射してくるだけ
レモンは無色
波はもっと複雑で謎だ
水深や太陽光線の色や角度で変わる
そこに高速で動く波動がある
風にも色がある
ずっと波の中にいた
観察を繰り返し
波とは何か考えた
何度も巻かれ死にかけた
がここが俺の生きがいの場だと笑った
嘘もかけ根もない世界
物質も自分さえもない世界
青いゼリーの中に独り
写真はその証明で
人間の目では見えていないありのままの時間を
高速で留める道具
人も波も同じ
1枚の写真には平面ではない世界が内包されている
読める写真と読めない薄っぺらな写真がある
写真は生きている
行こうと思う意識
そこで軍前であう事象や人
事象も二度と同じ色や時間はない
今はすでに過去だ
過去を見て生きているが
あまりそこにとらわれてはいけない
過去が繋ぎ繋ぎ離れ離れ
呼び合い無限な可能性が回転する
人にもそれぞれの人生がある
縁という言葉ではしまえまい
波に会うために波のある場所へ
この身を投げる
戻れないかもしれない
期待や不安の中
感覚と胸に聞くだけ
五感なんて言葉時代遅れだ
人間には無限な100も200もの感覚がある
傘を捨てて雨に打たれ
道具を捨てて波の中へ
波の中で雨に打たれた感覚
音も圧力さえ感じる
美しいなと水中で仰ぎ見るうねる水面
人間界のことなんてちっぽけで
宗教なんかいらないなと胸で知る
宗教とは日々の自分の暮らしにある
と言った ネイティブアメリカン
それぞれに大事なことが
手の中に掬える水にあればいい
こぼれたらまた掬えばいい
自由自在