山で祈るある特殊な古来からの風を読む人々を山伏という
彼らは、途方もない時計や現代の観念のあの世のからある
聖なる場を代々なびき(靡)とよび、心をたくし、心を寄り添い、大切に胸で潔め
胸で涙してきた

海も実は水があるだけで
海底には幾重もの渓谷や山がある

その海底も目の前にそびえる山と地続きでつながっていて
山はかつては海の底であったから

だから海に最初に
その神聖な靡はあったわけです

世界にはエベレストではないが
不可思議な神聖な場がある

僕が今まで個人的に感じ
なんども訪れて、泳いで撮影している場所も
そうした聖域だと思います

言葉ではわからない
僕にしかわからない何かが
呼吸し見ている

人間は迷い
人とたくさん群れるうちに

過去や古来から心の芯で持っていたものを失うことが多い

海へ独り
普通では泳がない波の中へ
体を投げ込んでみて

宇宙の真理や
この自然と呼ぶ黄金律の世界
地球にはもう一つの宇宙と世界が海という事実

誰もいない沖で絶望的に溺れ
諦めるか、生きたいのか?

物凄いシンプルな選択に狭まれ
一呼吸
いや意識の強さでも戻れることをしり

遥沖の波間で大笑いした日々

海は見た目の美しさだではなく
深い心の旅を通じ、全てが常に在り、全てを教えてくれる場だと感じます

神か仏?も、美しく厳しい自然や海に寄り添って
修行しいるかもしれない

海が全ての始まり

このは写真は出雲日御碕神社の磯

大昔は朝日よりも
1日の再生と終わりの
1日の全てを見て含んだ夕陽を大切にし

闇へ向かうひとときの
怖さと静寂の夕陽神事を伊勢よりも昔から行っていた

女神 天照の大神
悪を正す、素戔嗚と
神のお使い龍=霊蛇を祀る

実際に秋の神在祭には
海蛇=エラブ海蛇が実際に南から海岸に打ち上がるといい
出雲でも乾燥させた蛇の剥製を祀る

そんな場所にはふみしま
(経島)という磐座があり、800年年代の地震で10m近く沈下した海底には
御嶽のような切り通しや、東西にのびる道や参道や階段まである

夕陽が島に隠れてしまう
わずか30分
岩に崩れる波と夕陽の中にいた

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