クック諸島の沖は今まで泳いだ海で
一番速い波
だから今までより早く潜っては水面に出て空気を吸う回数が倍近い
理由は地形にある
浅い硬いサンゴが積み重なりかけて
生まれた海底やそれに伴い浅い水深(満潮で2m~2,5m.干潮で1m~1.3mは迫る波を泳ぎ潜り逃げれない水深)
そして海岸の方角
大潮や小潮など世界で月の引力で変わる海の水位(川は変わらない)
の、行き当たりばったり
たまたま大潮の期間に当たった。
数日後には引きすぎた波に無理に出ようとして
波の弾き飛ばされ、ウニの穴に落ちて足に30針以上の毒針が刺さるのだが
沖の200m位で急に浅くなり、腰までの水深をあと5mでようと20分挑戦したが
崩れる波の壁を抜けきれず
いすぎかな?頑張りすぎかな?
と思った矢先のこと
予感のままに動かなかった心が怪我を引き起こしたわけです
海や山は常に危険です
変な感じを感じること
野生的な部分の鍛錬と思いおこす冷静さと
戻る勇気と決断が目の前にあります
夏は子供達の海や川の事故が多く
悲しいです。
まづは泳力
地形や川や海の流れ
もしも流された場合の第2第3までの
逃げ方や、助かり方を現地で観察しイメージしてください
僕は海ではオーストラリアでライフガードの資格を1週間かけ習い
川のレスキューや、スキーレスキューなど勉強しました
経験と体験が幾ども自分を助けたことは
あのレスキューの経験が助けたことは言うまでもありません
日本の学校は事故や責任を過剰に怖がり
学校で例えば勉強合宿で海に行っても海岸禁止など
理不尽な僕にとっては、生殺しのような
形態を維持しています
昔住んでいたオーストラリアの学校は
サーフィンやレスキューの体験授業もあります
日本はこうした立体的自由で合理的で
自然から学び楽しみ、結果慈しむ心の教育が欠落しています
僕もスキーで両足を折る大怪我もしていますが
そもそもが、常に危ない場所に行く以上
多少のリスクがあります
そのリスクを知らずに、都会の過剰に便利なガラス張りの水槽で育つと
人としての困難や努力や我慢や大したことないのに諦めた理、回避しやすい環境で
気持ちも弱くなります。
全ての教えは、宗教でも学校でもなく
此の宇宙と地球の自然にある事実から
心避け、目を背けてはいけません
所詮僕たちは自然の中に生かされいますが
破壊して川や池を埋め立て、木を人工的に植えて
かっこいい植木鉢を部屋に飾る暮らしは人工自然でも
やはり木々や自然が必要な証明です
都会の乱立する墓石のような家にいるだけです
皮肉なことに
家の表札は
自然を冒涜し破壊した
戒名であり墓標かもしれません
光と影の現実を見ること
バランスです
話は戻りますが
海で溺れても諦めないでください
ゆっくる落ち着いて、水を利用して泳ぐこと
岸から沖へ流れる流れがあれば
一度流され
斜めに横にゆっくり丁寧に、平泳ぎでもクロールでもいいです
水に浮きながら、水を味方にしてがんばって、スピードはいらないので
ゆったり泳いでください
波が岸できたら
必ず波へ直角に向き
前へ深く潜ってください
そのとき頭を海底の砂や岩にぶつけないように手を先に出してください
首を痛めてしまします
僕は世界中の波の中を
一人旅で此の20年泳いで、逃げてきました
何度も気道が閉まるほど溺れています
が、誰も助けてくれませんから
諦めないで自力で心強くして
気合声出して、俺は戻れる!
と鼓舞してください
人生は山あり谷底や潮の流れがありますが
考え方一つで、良くも悪くもなります
一度悪い方に考えると
自分の頭がさらに悪い考えや不安を捏造します
頭は捨てて、笑って深呼吸!
よし!こらっ!と自分を引っ叩いてください
僕も幾つになっても
独りで波の中を泳ぐ覚悟と決心をしています
他の人といると、気を使ったり
自分の今だ!とか
ペースを崩れたり
集中力が落ちます
静に心や体を海と風と調律しないと死にます
独りで行ったほうが自由でいいです
たとえ死んでも何にも後悔もないです
最低限な道具で酸素ボンベもなくいく
とよりダイレクトに自然と海との怖さや美しさ、冷たさや、水流とか
生身で感じれ、いい体験になります
古武道もしています
海の体験と古武道は体の動きが同じだと思っています
早く泳ぐとか
順位とか全く意味がありません
いい人たちといい自然で
胸がワクワクして、楽しいな
優しいなと言う時間がいつでも待っています
少しづつ海や山で裸足で旅してください
都会の暮らしの食べ物や、トイレとかないかもしれないけど
その時々に合わせて、周りには謙虚な気持ちで
間違ったことは
間違っていると言える大人になってください
大丈夫大丈夫
海はいつもそこにあります
自分の歩幅と自分の1かき、1呼吸でゆっくり笑いましょう
今日はそんなことを思いました。
終わり。
じゃあまたね
孫子曰く
地形は兵の助けなり
敵をはかり勝ちを制するには、険阨(けんあい)遠近を計るは上将の道なり
これを知りて戦に用いる者は必ず勝ち
これを知らずして戦に用いざる者は必ず負けるなり
山林の険阻(けんそ)、沮沢(しょうたく)形を知らざるは戦に行くこと能わず
忍術所 忍秘伝 中島篤巳氏訳より
今から500年前の忍者たちは、中国の孫子や礼子などの素晴らしい人たちの経験を勉強し
日本で、日本から三重県の伊賀を無くそうとした、殺戮者信長から
故郷や、家族や仲間を守ろうとしていました
そんな尊い人々の修行や思いに此の国があることを誇りに胸に
強い気持ちと修行をして頑張ってください
僕の剣の師匠もいつも
こう言ってます
正義は正義だぞ!
常在戦場
いつも戦場だと思って生きなさいと
(戦争だけの意味ではなく、常にそうした危機感や、自然や周囲の人や自分に気を使う生き方に通じる)