仏方や世法は永遠に人を救えない実
波の中を泳ぐ0~終わりまでは未完であり幻である
波はそもそも存在していない
水は手で掬うと透明だが
塊となり其の厚みがまし、太陽光により不可思議な文様を現す瞬間は
人の目には見えない
水は水素結合を繰り返しては離反する
パラパラ漫画、映画の一コマのような物だ
此の時間さえ周波数を変えながら
物体は動き、中心に向かいフリーエナジーとして、人の心臓や果実のように中心へ向かい
トーラスしている事実は
もうすぐ理解できる日が来るであろう
海の中で酸素ボンベなる、卑怯な征服せんとする道具は海に卑怯である
裸で山河には此の心と身を捨身しなければ
其本質と真如の宇宙はわかるまい
此の超個人的な旅の記録が1まいの写真となり証明となるだけのことで
実は過去から未来へ行き過程の
現在の僕の修行というか、宇宙や海と正心を通わせた、先人の爪の垢を
幾ばくか、理解し、感じたいという
わざと命を賭して生きる
反発力のような風でありたい
古武道こそが(唯一無二ではない)
此の宇宙の約束をたがえないようにする
道を思い出し
心身の血を巡らせ野生と直感を
元に戻す行為であると信ずる
そして下記は丸写しの
熊本の嶺岩窟
という洞窟にこもりつづった宮本武蔵さんの
五輪書である
著者 宮本武蔵さん
渡辺一郎さん校中
岩波文庫より
空の巻
二刀一流の兵法の道
空の巻として書き顕はす事
空という心は
物毎(ものごと)のなき所(兵法に本来極りた形なく、全くむけい也)
しれざることを空と見たつ也
勿論くうはなきなり。
ある所をしりてなきき所をしる (道理を得ては道理をはなれ)
世の中において
あしくみれば(卑属な見かたでは)
物をわきまへざる所を空と見る所(物事の道理を弁別しない、無智)
実(まこと)の空にあらず
皆まよふう心なり
此の兵法の道においても、武士として道をおこなふに
士の法を知らざる所、空にあらずして
色々まよひありて、せんかたなき所を、空と言なれども
これまた空にあらざる也
其のほか武芸を能くつとめ、武士のおこなふ道
少しもくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず
心意(意の心家禄、心のこころおもく)二つの心をみがき
観見(かんけん)二つの目を研ぎ、少しも曇りなく、まよひの雲はれたる所こそ
実(まこと)の道をしらざる間は、仏方によらず、世法(世間の法)によらず
おのれ、おのれは、はたしかなる道とおもひ
よき事とおもへども、心の直道よりして、世の大かねにあわせて見る時は
其身、其身にの心ひいき
其目、其目の歪によつて、実(まこと)の道にそむく物也
其心をしつて、直ぐなる所を本とし、実の心を道として
兵法を広くおこなひ
ただしく明らかに、大木なる所をおもひとつて
空を道とし、道を空と見る所也
正保2年5月12日 寺尾孫丞
新免武蔵