コレクター癖はないが
掛け軸や浮世絵,木彫の日本美術が特に好きです
仏像は色々重いのと責任が出るから
今はないです
唯一バリ島の骨董屋さんで90年代はじめに
どうしても欲しかった100年前のお寺にあったという
ガルーダを二体、何度も通い、一度日本へ帰りまた翌月も行き
分けてもらった
お水も何もしないで
飾ったら、夜ラップ音と寒気がきた
絵も言えぬ霊が来たときの感覚
以来話しかけ、ご飯や果物をお供えし
線香を焚いたら、ピタリととまりました
古い、特に祈りの仏像系はやはり
何かしらの霊力が宿るんんだと
身をもって知りました
同時に手元には
縁を超えた、着たくて集まる物も
あることを知り
浮世絵も掛け軸も画家や作者のことを調べ
お供えをし、祈りながら飾ってます
人形とお面は宿る様に
怖いから一切置かないですが
人形も仏像もようは同じですが
使用方法とつくられた経緯が異なるので
波動が違うと感じます
現代アートとはおかしな言葉で
今から150年以前(明治以前)
全国では焼き物、や祭礼の木彫や飾りや神様の器など
ひっそりつくられていた今で言う日本美術
芸術とか美術という言葉もない純粋な品々
江戸の発展とともに
武道と同じ独特な極みと、美を探求した職人と
鑑賞見を持った見る側が育てたわけだが
当時はイギリスより日本人は読み書きができ
俳句や和歌や、風景や歴史的史実の浮世絵を
楽しんだ人々
輸入された伊万里焼の包み紙、緩衝材とされた
浮世絵を見て、びっくりしたヨーロッパ人
1枚600円ほどの浮世絵は
フーリアやシーボルトなど時代を超えた審美眼の持つ
外人に買われ海を船で旅をした
1枚の板木で約200枚刷られたという浮世絵も
人気の作家や図柄により価格は違う
色の綺麗で木の磨耗がないりい輪郭の角がたつ初刷りは
数百万から北斎など1億がつくというから
江戸の人々もあの世で腰をぬかす
皮肉なことに
東京大空襲もなく
戦災を免れた浮世絵が海外より
戻ってきている
日本は不思議な魅力がある
キリストさんの様な
絶対神「デウス」ではない
万物、森羅万象の全てには魂があり
役割や特性の違う神様を敬い、祭礼や祈りを大切に継承した日本人に
禅や様々輸入された新興宗教が溶け合ったカオスも
日本風にしてきた巧みと器用な感覚と発想は
美術品にも巧みに浸透した美が存在する
武士の封建制度から
江戸城に伴う、全国から呼ぶ大名や侍
役人達の為の食べ物や生活を補い
商業施設の必要をになう為
たくさんいたという比喩で
江戸は「江州商人と犬の糞」と呼ばれたほど
江州(近江)商人や伊勢商人達を呼び
銀座や水道橋の海を埋め立て
商業施設や土地を増やした地上げは
今の駅前開発のモデル
封建制度が溶けかけ
町人も暮らしに余裕がうまれたのでしょう
芸術は少しばかりの余裕が入らねば
ゆったりとした時間は読めない
プラスチックがない時代
素材は自然の顔料や当時の素材
そう思うと
フランス製の写真はケミカルだな
デジタルカメラは
ケミカルな銀や酢酸の現像液を海や川に流さないから
実は環境にいい?
昔の現像業者も薄めて
海洋投棄業者にお金を払っていた事実
遥彼方ですてればいいと言う、妙な法律
今考えたら
おかしな話しで海は流れ
つながってます。
放射能の汚染水と同じですね。
でも毎年カメラをちょい出しし
新しくつくるから、バイオマス(物が生まれるまでの影響)では明らかに
新しい物を作るのはよくない
ハイブリットカーや電気自動車が環境に良いというっていたのを
最近は負担がないとかかんとか
作れば様々水銀や余計なゴミが出るわけで
再生紙は塩素を大量に川に流すし
ペットボトルは洗ったり薬品やひんやら使うので
高温で燃やしたほうがいいという
事実に蓋をして,地球に嘘の思いやりを悪用
なぜ壊れない電球や物を作らないのですか?
とパラグアイの、元ゲリラと呼ばれ、実は自由を求めたレジスタンスで、古いワーゲンに乗っていたヒムカ大統領
発展した国連代表の人々はシーンと目を下へ
デジタルカメラは
フィルムカメラに比べ対応年数がない
壊れたら
基板交換です。
買った方がう安いですよというマニュアルで
買わされる僕たちカメラや
正直家電カメラに愛着はないが
レンズにはあるから、とことん治してもらう
もはや電気製品な写真機は写真機ではない
それでも
1枚に写った写真だけは、天然の正直な
宇宙の健康状態
色をのせ、作者の希望に捏造する養殖された写真が増えた今
カメラマンの使う側の意識と地球への敬意の奥ゆかしさが
1枚に残ることを願います。