事実
一人旅をしてきて
いまの波の旅がある
旅に場所と宿や海岸は見た目が大事!
ここだ!
何か懐かしくもあり
好きだな〜
理屈なし
それでいい
直感。
何度も家を借りては
ごめん!と不動産屋に言い訳をして
翌日には引っ越したオーストラリア
世界にはここだと思う場所がいくつかある
一つ目はバリ島、僕が訪れたのは92年から
サヌールの海と、何よりもウブドの渓谷は何か霊的というか
昔ここにいたな?
祈りと日本の神輿とは違い
精神的な儀礼に包まれる
聖域で舞う真摯なバリの普通のおじさんやおばちゃん
そんな奇妙で胸暖かな感覚がしました
当時まだ、寺院ののチケットも150円ほどで
はじま1時間くらい前に、白い僧侶の格好をした人が
寺院の前で売り歩いていたが
正直価格
日本のダフ屋ではない
椅子がかろうじてあるだけで
スマホもないから
誰もが写真を撮らず
フラッシュも気を使い使わず
オレンジのランプと松明の
昔の雰囲気の残る、一糸乱れないレゴンの舞になんだか涙が出た
今でもこんなに神様に心をたむけ
踊りや芸術と溶け合うおおらかで
笑顔がそのまま心とわかる人々に本当に感動した
タンパクシリンへ向かう棚田の前のウッドカービングのお店の兄弟や
チャンプアンの宿の人
朝は決まって
観光客様に(バリへの旅はオランダ人やヨーロピアンが初めと言われている)から
パインやバナナの型押しされたジャッフルと甘い砂糖ジャリジャリのバリコピか
美味しくないインスタントティーバックとフルーツで
1 泊1500ー3000円だったか
夜はぞう虫の入ったご飯の
夜店へ
レンタカージムニーを借り
お決まりの
デンパサールの国道やクタの頭勝負の運転と、一方通行がよくわからない道で
警官に難癖をつけられ賄賂をとられる無駄な時間
田舎に来るとそれはない
宿は
景色と雰囲気の良さそうな場所にこだわり
見せてもらえますか?と
中を見せてもらい決めた
ガイドブックも持たず
インターネットもクレジットカードもない時代
数年後ロンリープラネットがいいよと
旅先で聞いて日本で買ったら
確かにあれば便利で時間が節約されたな〜と感心
助手席に、世界中で着いたらまづ
ガソリンスタンドへ向かい買う
折り畳みの地図を広げ、移動しまくった
ナビなんか今もつけないのは
方向感覚が退化し車との一体感がなくあんるからだ
全てがゆっくりで緩やかに
人と人のつながりの
おもいやりがあった
それからは毎年何回もオーストラリアへ行く途中
で降りてはバリ島へ通った
骨董屋のmade
サヌールの船乗りブラトウ、や海岸の人々
本当に優しい島の人たち
2014年から海の汚れと
コロナもあり行っていない
海は濁っていた
嘘だろ?
たまたまかなと
翌月また同じ場所も含めいろいろ行ったが
雨季でもないのにやはり濁っていた
泳いでいて飲んでしまいそうな細かいビニールゴミがすごかった
ドリームランドやニンビン、ウブドの
政治家の賄賂や強制的な追い出しで
ホテルの開発が過剰に進めば
ゴミや汚染水の問題が出る
ゴミへの教育もまだまだだった
ハイスピードの観光業の木々の成長する速度よりも
早い破壊と建築法が自由なため
(サヌールは椰子の木より高い建物はダメ)
美しい森や渓谷の破壊
空間的、客寄せ的な大自然には
不自然なプールのある(実際は山は寒くて長くは入らない)
ロスメンではなく高級ヴィラが乱立
ウブドは特に王族の持ち物が多く、外国企業の賄賂でなんでもありの事実を聞いた
都合の良い僕らの様な旅行者は
海の上や目の前
山や渓谷の見晴らしのいい場所を好んでいく
でも
そんな場所こそ、実は破壊の最先端にあり
石鹸やシャンプーが川へ流れていく事実も
知らねばならない
光と影
陰陽
客観視し
冷静に
あとは選ぶだけ
人の選択は関係ない
自分がいいと感じたら
海から上がる
理由も自分を交渉しない
いいと感じた人だけといればいい
単純明快な海の話し