海へ独り義を尽くす

日本の川が昔に比べ汚れている
人工的で、流速も早く、取りつく島がないコンクリートの
蛇行しない垂直な壁は

植物や生物が住めず、自然な濾過や分解が出来ない
人間も落ちたら、桃太郎の婆様のように川岸で洗濯もできず
流れていく
ドイツはかわを加工する際
わざと蛇行させ生態系(ビオトープ)を作るらしい

以前、川のレスキューの資格を、水上のネイチャーナビゲーターたちさんに教わり
勉強した

川はどう水流という、水分子が高いところから低いところへ
流れる独特なスピードがあり

同じ場所から先に落ち流された人や物は
次に落ちても追いつくことはない
同じ流速が動いている訳だ

どんなに泳いでもわずかしか縮まず

川で溺れている子供を見ても
マニュアル上は飛び込むな

川では絶対に足をつくなと書いてある

漁師の梁のように下流で待ち受けるか
流れてくる人や物を網ですくうか?
ロープを流れてくる手前に投げるか?

レスキュー隊が持つ腰につけた
先に重りがある、忍者の武器 鎖ふんどうとお同様
普段は巻いてあるロープを流れてくる人の位置を予測して
いない下流のいちに投げる

投げてもコントロールミスもある
届かない場合いもある

ロープはバッチリでも
または流れてくる人が掴めなかった
など
流れている人の冷静さと泳力も大事
パニックではどうにもできない

非常に難しいのが実情だ

海ですら限定した海水浴場だけでも地変だから

川のライフガードがいればだが
日本の全ての川には不可能だ

では溺れたらどうするか
流れに任せて浮いている

周りを見ながら、大岩に向かい流されながらゆっくり
方向づけをする(泳ぐことも大事だがまづ泳げない)

岩や、這い上がれそうな岸や
流れのゆるそうな場所へ
向かい下流に向かい斜めに泳ぐ

これは川に入る前に
鳥瞰図のようにもしもの時はとイメージし
よく観察しておくこと

レスキューでは上流に斜めに
泳ぐと流されながら岸につく訓練(体験)や
 
岩の後ろは水が巻いていて
流れがないから、体を岩に向かっていれると
すぽっと入り激流でも、水深が浅ければ岩の真後ろに立てる
この場所をエディと呼ぶ

川のレスキューは日本にはなく
スイフトレスキューと呼ぶ救助方法はアメリカ製

僕が21際の時に習った海のレスキューの本場はオーストラリア
これは本当にキツかった

朝イチでプールでクロールで400m9分切ること
上手なスイマーは朝飯までが
僕はキツかった

海ではランスイムランという
海の沖を起点に数百メートルを三角形に走って泳いでタイムがある8分だったか?
走って、沖まで泳いで、また戻る
サメもいる海は怖い!

伝統的な方法は腰にロープをつけて
海岸の巨大なリールで数人で引っ張る
危険なレスキューで今はやってるのか?

溺者を前で抱え背中越しに引っ張られるが
体を微妙な角度で真っ直ぐしないと
くの字に折れたまま、水中へ引きずり込まれ
気を失うほど海水を飲み
溺者などはなしてしまう
それどころではない
助けたはずの自分が溺れている

何よりも
疲れた体の朝イチのプールは精神的にもきつかった
結局5日間の最終日に9分丁度で合格したが

あの経験が海で自分を救ってくれた

人生であんなに辛いことはないと思ったオーストラリアの体験が
自分が自分を救うのはその10年後
その時は片手で泳ぐなど微塵もなかった

この青い透明なフィジーは
どこまでも透明だった

水中から見る
沖の深くなるサンゴ礁のがけの先は濃紺で不気味だった
写真は波を沖へ向かってかわして
同時に水中で反転して海底にへばりついて写した1枚

海も大地で
海中にも渓谷も山もあると知る
この海底は目の前にそびえる緑の霧のかかった山につながっている

山にはレッカという妖精がいる
山も海も恐ろしい原始の
力が出ている

波も容赦ない

島ごとくるまれるような大波

オーストラリアの人生1番!の辛い体験も
ここでは常に塗りかえられていった

限界もない美しさ
と所詮かなわない大きな力

その怖さに勝つというよりは
怖いとおもいつつも、人間には手に入れられない
様々な大切な事象を胸で知る

こうして今、お気軽に都会にいて
あの日の怖さは尊い物で
胸の片隅?胸のどこかに焼き付いている

修験道と同じく黙って
独り海へ入る

危ない、無理だと
先に感じ
助けてくださいではなく
お願いしますと祈りを捧げ

恐る恐る入っては出ること

そして戻れたら
海岸で一礼

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