木製の日本
日本の神社の前の海
人の作った写真機でしか見れない1瞬の姿
波動の動きを高速で止めたわけだ
古来の人々は今の人間より
感受性、信頼性、強い真っ直ぐな道理、自然界の美と怖さの理解
数えたらキリがないというよりは
今の我々には到底知り得ない感覚と生きていたであろう
日本の波を旅をする理由は
神様が立ち寄る銘スポットが点在しているに
他ならない
妙な雰囲気がある
囲まれた景色が
普段住む水槽の中と違い
昔からのままだからいいと感じているのかもしれないが
神社は別荘で交信場であろうが
どうしても人の色が積み重なっている
人々は色々なものを置いていく
現生利益をする場所に変わった神社、各神社の特異な性能や効能
もあるからで、これは神社を維持するための方便で手段
国土と呼んでいた自然に包まれ
その風景としてそこにある物を超えた
ある有機的な感覚と美意識があり
神がそこに降り立ち、仏は輸入されながらも
この宇宙の地球じまの日本島には必要だったから
神様も、多様な仏たちや僧侶を受け入れ、育ててきたのだと思う
寛容
例えば本地垂迹と言って
仏=神
牛頭天王は素戔嗚とか
少々荒っぽい解釈を作ったわけだが
それも何か
時はやがてくる乱世の世を乗り越える人という修行の者に
与えられたきっかけかもしれない
末法という思想を生むわけだ
日本は武家から庶民へと美術、芸術と呼ばれていない頃の美術=美意識=道 が生まれ
刀、器や茶道、浮世絵や様々が花を咲かせた
その道に精進し
時間と根気、揺るがぬ信念へ胸と動き
魂が宿るという、アミニズムの根底の力を持つ彼らがいて
世界に類を見ない様々な頂きへ向かう、鮮やかな道が幾重にも交錯し月へ向かった
海を通じ
海や山へ自然に祈る行為を
たやした時に、地球は終わる
早いばかりの現世
簡単にレンジで料理が蔓延の現世
自分の指先
目で見たこと
歩いた感覚
水の感覚
火の暖かさ
ローソクの揺らめき
遠い月を見て
風の音を聞く時間を忘れてはいけない