胸のざわざわに生きる

西ドイツで展示会ができるよう
ドイツの皆様に画策して頂きつつ

今年の展示は日本の僕の原点
代々木上原のファイヤーキングカフェのみ
7月中旬だったかな 5週間。

海外いかないのですか?
日本にいるんですか?


問われますが
海外はしばらくいいかなと
年に8回言った年もありましたが
辺境の宿が閉まったり、水が汚れたり
あきらかの地球はぶっ壊れています。

又大人になり、この数年は量より質で行くようになりました

とらわれがなくなったのかもしれませんね。

特に日本を旅するうちに,日本の良さも知り
波こそ八百神様に呼ばれ
良い何かが写るのでは?と
「よこしま」な気持ちはしっかり、おいて海へ行くようにしています

明治政府以来、ユダヤと連合国に戦争で案の定負かされ
頭で考え
頭で生きるように畜養された日本人

最近分厚くてなかなか進まなかった本
デービッドアイク氏の本(題名は忘れたので後ほど)地球人の98%はなんとか〜

心臓が電気を発生し
人間の意識や気をつかさどり
頭ではなく
心臓こそが
「つまりは胸の辺りで感じた事」大切な調和と正しい道へ導くと
たしかにそうだ
なんていうか
太陽が昇り
波が来たりなんだり
自然な気持ち

はっとするのは胸です
大波の中、非現実的な今に
胸が恐怖と次の事態に向け
キューットします

頭はなんにも感じません
そこの頭(思考)を入れると
逃げ間違えたり、負の方向へ考えがはまり
肉体に元気がなくなり
死にます

瞬時の判断
なんていいますが
あれは
胸です
あたまの判断はもしかしたら
記憶装置として経験を読み返すかもしれませんが

胸のざわつきや
胸のあたりで感じた事が真理です

波の中では全身や胸から幸せ感はきます
撮影は3の次あたりで、400mくらい沖まで泳いで波をかわすのに必死です
人間には見えない美しい波動や天然の地球に包まれ抱かれている感覚が
なによりも幸せで
小さな自分を恥ずかしくも思います。

だから写真は見ないで押します!
迷いなくパチリ!

迷いは頭です。
頭にいれると構図を作ってしまい
写真家が俗にいう「我が心の向こう側」という気持ち悪く
きな臭い、撮られた1枚になります

日曜日になると公明党の信者
キリストの品のいい婆様や
電波妨害のためアンテナを無料でつけます・・・
とか馬鹿な
営業が来る

みな上からの指示で
気持ち悪い人工笑顔と
テープレコーダーのような会話

決まって馬鹿か!
海でも行ってお天道様あびてきたら という

ま〜図々しい
心ない人々は頭でしゃべる
目ん玉は¥マークな訳だから

目は心の窓
とはよく言ったものです

日本人はどうなっちまったのか?

海へいったら嘘は駄目だとわかります。

僕は33年前の車に新品の触媒(最近のカリフォルニア規制の空気濾過装置)をつけ
全てばらして新品になおしましたが
「はっきり言って高い!」

でも
新しい車はエコなんて事はないので、いいんです。
作るのに相当な環境負荷と水銀など毒が生まれ
バイオマスというやつです、売りつけるための商品力が
昔のデザインや雰囲気とは代わり燃費?になり
(ユーザーも動けば良い、食えれば良い)感じが車の歴史を変貌させました。
安かろう悪かろうのファストフードと同じです

その辺の数字をいじりVWや三菱など各種メーカーは不正をした訳です

車がいくらエコな雰囲気でも
去年迄自分たちが最高の傑作として,プロパガンダで消費者に売りつけた
その排ガスが悪いと過去のディーゼル車や新基準に満たなくした車は
結局インドなどへ売られるだけで、排ガスやゴミは増えて行く始末

だから今インドは大気汚染!で大変です。

汚染物は地球のこっちからあっちに行くだけ
の放射能のゴミと同じです

自分の島や庭だけではないのですが
古い物があったら都合の悪い企業が
どんどんジャンクな物を作ります
畜養マグロが良い例です

ま〜文句も言いたくなる
流行にながされる我々

どうだっていい事です

最近流行の若冲さんが
ハヤリはまったくどうでもいい
1000年後に自分の絵が評価されれればいいと
言ったそうです
生まれて丁度300年以前は没後200年?だったか
色んなこじつけのおかげで拝見する事が出来ました
以前は展覧会も並ぶ事なんてなかったが
今じゃ休日は2時間平日も1時間と
若冲さんの嫌いなハヤリです

1800年に85 歳で亡くなり
216年だから割と早く我々はその道を
感じとった訳です

十数年前、京都にはじめて訪れ
たまたまはいった場が相国寺でした
調べるうちに若冲さんを知り
絵はもちろんですが、晩年は好きな伏見稲荷の山寺に住み
好きに描いた伏見の大胆で繊細な伏見人形図を
少しのお米と、極楽浄土を石仏で再現する石仏代と交換して
独身でいたそうです
仙人の域ですね。

そんな若冲さんの修行僧のような自由な祈りに生きた
彼の生き方に惹かれ
その後、別な人のすすめで自然霊を祀る
あの伏見稲荷の山へ参拝に行くようになりました。

実はきつねは眷属で(御使え)でじっさいは白鬚のじい様8(農耕の神様)がお稲荷さんと聞きました。
油揚げは正式には間違え。


あるお祈りの方に伏見稲荷の清め砂を頂き


ある日たまたま展示会で
知り合った
青山の骨董屋さんにその清め砂をさしあげると
オーナーさんが
掛けてあったピンクのきつね掛け軸の下に迷いなく置かれました

なんでそこに?
これ若冲の伏見稲荷のきつねの絵なんです。

ぞ〜っ〜


波の中と同じように
胸がざわつき

これは駄目だ!呼ばれてる!

身内でお祈りをして祀らないといけない!
と胸で感じ

買います!
と値段も聞かずに
恐ろしい事を口にだしてました。

懐ではなく胸で答えました。

もちろんそんなお金はないので
1年待って頂き
迎えに行きました

後日
若冲さんは禅僧でしたから
その静かな誰もいない筆塚の横の
お寺のお墓にきつねの写真を持参し行き

若冲さん!
本当に描きましたか?

とこっそり聞きました。


もちろん素人の僕には
なんにも聞こえず
独りで大笑い。

人生
全ては縁ありて
来たる

学校やプールで競い合わされた
一番や優秀なんて蚊帳の外

自分にとって一番でいいのです
一生懸命妥協せずに、やり遂げる事!

これからも胸の感じたまま
生きたいです。

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