柏原城跡
城マニアではないので
城の事はしりませんが
ここも砦(城)があった
それも会議で最後はこの南のこの地で落ち合おうと
彼らの申し合わせ通り最後の地である
伊賀の北から、この南まで車で飛ばして30~40分かかるから
当時は信長の包囲網をかいくぐり
ここまでくるには大変な事だったろう
信長の殺戮とジェノサイドを真っ向から戦った伊賀の地侍(忍)
そんな彼ら彼女らが、伊賀全土から最後に目指した
南の赤目瀧のふもとにある,滝野城(柏原城)
書物には全滅とかかいてあるが
実際にはそうでない
数週間してもこの要害の地は落ちず
信長は留守の間、毛利や諸大名の動きに神経質になり
ふがいなき奴らよ といら立ち
最後は信長が和睦をしてきたという
その和睦には
この地の伊賀の頭 百地三太夫が服部半蔵に決別の書を送り
それを読んだ半蔵が、徳川家康に相談したところ
ある人物を介し天正伊賀の乱は幕を閉じたと言われている
その和睦を取り持ったのが
その城の城主、滝野十郎吉政
その末裔の一人がここに佇む津島神社の宮司
滝野紀継さん
塩と線香を焚き
昔のままの井戸や、掘り割りの城の中で
般若心経を唱え
法螺貝を3回吹いた
郷土とこの戦いで共に戦い散った家族や仲間を
愛し,無念のなかに消えた忍達
わずか400年前この空間で
起きた事実を受け止めるのは
僕のような素人にはきついが
伊賀に来たら必ず訪れる場である
彼らの義と正心があり
今の日本がある事実
今のおかしな日本を
彼らは憂いている
アメリカに50州目の領土に搾取され
カリフォルニアの砂の巻かれた人口ビーチ
ワイキキで寝そべる日本人が
真珠湾に手を合わせない現状と同じ事が
今起こっている