稲荷山
狐は龍神様とも伝わります
狐の穴がたくさん昔はあり
その場所に塚を作ったそうです
安倍晴明のお母さんは狐
落語の王子の狐も同じく
古来、今の僕たちには見えにくいですが
そうしたある霊力をひっぱんに見れた時代であったのでしょう
天皇の儀式では
羽衣の衣や隠蓑
いろいろな魔法の鏡が存在し
呪詛から守り、儀式に使用していた記録も残ります
今の科学者や僕たちの尺度では
お呼びもしない、不思議な世界が地球にはまだあった時代の
美しい話です
元は渡来人 秦氏が祈った霊山も
時代を超え、いつの間にやら美しいオレンジの鳥居を販売
これが山を不自然に華やかにし
人を集め
外国人にはインスタで爆発!
数年ごとに値上がりする
鳥居は今は21万から、目立つ入り口のでかいのは数千万です
政治的な部分がないとお金だけでは買えない場所は
日本中にありますね
(今も順番待ちで朽ち果てたら終わりで、空いたら次の人へ販売)
今後ロシアやウッドショックも影響も出て高くなるのか?
腐らない素材だといけない都合もあるので・・・木でなくてはいけません
昨今の神社は現生利益=商売繁盛、縁結びやらのスポットに
なり、効きは同じなのに真ん中に1組づつ並び、願を懸ける
行いは、有名な神社ほど多くなってきた
出雲でもどこの宮司さんも、周りからお参りされて
並ぶばなくていんですけど
と言いつつも、それを皆さんに言わない
代わりに僕に言ってください〜と
言われ
並ばなくてもいいんですよ
効き目は一緒ですと戸隠神社の奥社で
完全な変な空気に飛び込むには
貝を吹いて入り込み
いいんですか?という人
99%は静かな沈黙で並び続ける
言うと大抵
変な空気になり
端から拝むと
なんでこのおじさん
並ばないんだの視線
でもめげずに
正しいことですので
釈然と
江戸時代に商業が生まれ
全国の神社で広告的に参拝者寄せのため、維持するために広がった
願掛け信仰
白装束の講や(お祈りのチーム、団体)行者さんも
めっきり減りました
特に稲荷系の神社は
いまだ全国から商売繁盛の執念とも思える熱は凄いです
ちなみに豊川稲荷さんは、入口の石の鳥居はありますが
仏の曹洞宗なため二礼二拝一礼ではなく
手を合わせ、般若心経
人間の心臓を食べる荼枳尼天が神仏習合の
混沌の中人間の都合で稲荷イコールになった
しかし古来の祈りとは違う、神様へのご挨拶で
数千本並ぶ鳥居は集客力は強烈です
お賽銭や奉納金もダントツの伏見稲荷
宮司さんも大丈夫でしょうか?
人間界色々おありでしょうが・・・・
以前に目にした外人は鳥居にぶら下がり
インスタ用にパチリ
一部の中国人は御神酒やお供えを持ち帰る
その昔は
岩や瀧や全ての万物への祈り=宇宙や海につながるわけですが
一般人も今より霊性の高い人が多かったのでしょう
それは世の中の常識や人への思いやりと比例しています
元気な人がシルバーシートに座るなど
キリがありません
明治の神仏分離や修験道禁止まで
100人に一人は行者だった日本人
全国の神社や寺へ祈りの回路が自然に生まれていたわけです
この山に命を注いだ
砂澤たまえさんにご挨拶に
おにぎりと御神酒を
一升瓶は山の御膳谷の社務所へ
ご奉納すると3ヶ月後に取りにいけばいただけます
稲荷山にはいくつも瀧と地図にありますが
皆さんの考える自然な瀧ではなく
配管やとよで落下させる人工的なものです
あるお坊さんも若い時は瀧行もしたけど
シャワーも同じです
と・・・・
そうかも
と
言ったらなんですが
やった人しか理解できないことがあります
大自然の厳しい修行を超えると
ある領域にしっかりした自分がいるのでしょう
大事なのは何か?
瀧に打たれるとは何か?
古来から行場として
白衣やふんどしで禊ぎ、水に打たれる方もいます
そうした方々の思いで瀧場が大切に神聖に保たれています
人によりお不動様の瀧が何かを感じるとか
どこどこの滝がいいとか
あるようです
僕は今回はしなくていいなーと思い
瀧はしませんでしたが
祝詞を捧げました
以前は自分の疲れや止まっている何かを
流し祓う感じでした
ので。瀧場にはいいものも、悪いものもありますし
それなりの気持ちと作法で入ってください
瀧場も立ち入り禁止と書いても
近くに必ずある神様へ挨拶もせず
勝手に開けて写真を撮るハイカーの
じい様、婆様やトレイルランニングの方もいて
本当にだめよ今と
瀧場のおばちゃん
自由に浴びれますが
軽い気持ちでやらないように
お塩を撒いて浄め
ふんどしか白衣など白装束でお願いします
霊場のルール、いや人間界のモラルですが
薄れてしまっているのが今の日本の現状です
波の中で波を潜り抜けると同じ感覚です