甲賀稲荷
昔は明治記念館の入り口左付近にあった(権田原)
甲賀稲荷も政府の地上げに遭い
明治初期に千駄ヶ谷の鳩森神社内に
4/15は大祭の日
10年に一度位は雨で拝殿で儀式です
と宮司さん
数年前に崇敬会に入らせていただき
地元の町会長の方々にポツンと
関係ない場所から一人
毎年参加させていただいてます
玉串を捧げ
祝詞を聞いた雨の中
甲賀から江戸城警護の出稼ぎと任務を帯びた
甲賀の地侍と忍たち
古里を思い、毎日お稲荷さんへ拝んでいたんんでしょう
雨の中なんだか感慨深く
涙が湧いてきました
おそらくは
甲賀の人々を誘い、徳川とつなげたのは
京都知恩院の奥に眠る、甲賀の毛牧城の山岡景友三(道阿弥)さん
そのご兄弟、山岡景光さん
甲賀21家の多喜一族(瀧飛騨守)さんの
お墓も甲賀の称名寺にありました