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しかし波を見ると潮が引き、風が強くつぶされたいた。
朝 冷たい海へ30分程撮影に行くと
「まだ何も穫れてないのよ」と言っていた友達のタベが午後になっても
独り沖で水につかりながら、釣りをしていた。
遠くひょっこり来た私達には美しいだけの場だが
ここに住む、住まざるえない人々にとっては、過酷な場所なのだ。
もちろんスパーもおばかなコンビニもない。
好きな時間に冷蔵庫で冷やされた魚を買う事が出来ない。
過剰に便利で過保護な水槽に暮らす我々。
生きる術も、地球の強さもとうに忘れている。
彼女達が山で焼くゴミや海に捨てられた釣り糸だって、どうこう言う資格などない。
私達の街の暮らしから比べれば、ダメージなんてたいしたことはないのだ。
本当はこんな電気仕掛けのパソコンを使うほうが、どうかしているのだ。
文明に暮らす我々は、環境破壊は受け入れていかなくては、暮らしがなりたたない事を理解しなくてはいけない。
折り合いをはじめ、地球への優しさ、なによりすこしの不便さが大事なのだ。
望遠レンズ越しに見える独り風が吹き付ける海にいる彼女へ、なんとも言えない気持ちになった。
しかし少なくとも彼女達はこの地球によりそい、正直に生きている。
一巻きの釣り糸と釣り針で穫れる範囲の魚で充分な事を知っている。
それに比べ私達の暮らしはどんなにお馬鹿な事か。
こんなに遠い島の村人だっては放射線はどうなの?
地震は大丈夫?
と心配してくれている。
海は繋がっている事を忘れてはいけない。
日本人はもっとこの地球に責務と責任を持たなければいけない。