写真とはなんであるか?

なんて難しい話しぶつかっては
感覚に問う

頭に問うのではない

人の命は儚いと
宇宙と自然の
のっぴきならない美しさと力の前でひれ伏す

この海が生きてきた時間の1滴にも満たない時間の
0.02秒の姿を止めた1つ

人の目にはもちろん
見ていながらも
見えない1つの時間

多くの人は海の水面を見

揺れ動く水面の下で何が起きているかは
当然、気づかないままそれを海として記憶し
忘れていく

海の中は全く別な生き物の調和の中で営む
もう1つの地球だが
実はこっちが本当の地球で
狭い陸上に張り付き寄生し
あらゆる自然の構造物を破壊、これでもかと取り尽くす人間は害獣で
偽の地球かもしれない

波も海も蟹も魚も珊瑚も
無意味に破壊することなく
海の宇宙に合わせ幸せに暮らしている

キリストも仏教も
宗教も何も必要ない

お互いが普通に自己の力で生き
人に自我を押し付けたり
海を汚さない

魚は側線や目で感じ取り
人間は長くいれば死ぬ厳しいはずの水中を自由に飛ぶ

そんな時間を数十億年見てきた海

水は意識があり
蒸発して空に向かい
やがて雨となり山に染み込み
また雪になり変幻自在
 

そんな山から時間をかけ染み出した水は
ごく普通に全てを経験し記憶していると思う

波の中にいると
明らかに何かに見られている気がする

同時に常に帰ること
帰れる算段をつけながら
撮っている

一瞬で変わるから

自分への嘘や傲慢な思いは
自然に海から帰れない確率を増やすだけ

海や魚から人は学ぶことが多いと思う

僕は死ぬ確率の高い海が波の中だと感じ
そこに簡素な道具だけで身を置くおこと
カメラで写すことで何かを見つけようと
海岸を離別したあの日

本当に怖かった

戻っては世俗で生き
海の聖域で生かされ
戻され
また海へ

その怖さも繰り返し繰り返し
体のどこかに(多分胸のあたり)記録され
さっきまでなかった怖さがまた
胸に集まっては消えるやら、消しているやら

これだけは言えます
人はありのままの地球の
怖さの中に身を置くことで
自ずと強くいき

自然に正しいことをしている
いや正しくないことはしなくなる

風に耳をさらし
心を曝し
頭で考えてもよくわからないから
海に身投げ

不思議な1枚が観す未来をパチリ

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