都合に合わせて作り替える人間
朝起きてしばらくすると
首の上に
神棚の上に貼った雲という紙が
くっついていた
この一年、田舎の下関ので子供の頃拝んでいた
耳なし芳一と平家を弔う赤間神宮
その壇之浦で亡くなった
伊賀忍と平家一門を祈り、ご飯を捧げていたら
数日前、飾ってあった、白黒の壇ノ浦の写真に妙な染みが現れた
数日前しまってあった
伊賀忍の瀧寺から頂いた
江戸時代の版木で刷られた
伊州赤目不動様を飾ると
その寺の住職から
一年ぶりに電話があり
お不動様の前に写真集おいて拝んでますわ〜
初めてきた時に藤堂さんの位牌や仏壇を
掃除してくれたように、あれから掃除もしてますよ〜
から一年分を話して
また顔見せてね
と
海は生きている
天候に左右上下
というよりも人は
この宇宙の法則と風に即していくしかない
ハイブリットカーにしたら
温暖化が今まで既に作った車よりは
進まないらしい
と嘯く
ずっと持つ電池や
長く乗ろうとしても
直す部品もなくなり壊れない車は
作れないらしい
地球にあるもう1つの宇宙が海の中
海はこの陸と同じ素材ででき絶妙に
相互関係?を回転させ生まれて消滅し
自然分解しあい
自然分解されまた生まれていく
プラスチックや放射能物質など
地球に還れない人間が化学や科学を使い
余計なことをしてしまった以上
なくすことは不可能だ
そこで問題
どうすればいいのやら?
狭いガラスのケースの砂時計の砂のような例えも
今の地球人が行っている事なのやら
美しく厳しい宇宙の流れに身を委ね
胸でその極限の破壊美を
感じることが手っ取り早い
神社の神様に頭を下げ
いろいろお願いするが
本当はその前に
海や山にも頭を下げてもいいんじゃないか?
実に神様も海や山があって生まれた訳で
誰かが書いた空想の姿とも
実在しのかはさておき
聖徳太子や比叡山大学で勉強した
宗教学者や中国のお坊さんに
仏さんは船できた
輸入され蘇我と物部の戦い
最近では戦いはなかったとか、あったとか?
いつもまに
made in japan 風に落ち着いた
不自然が自然に
しかし天然風は拭えない
芥川龍之介が
神々の微笑で書いたように
日本の力は造り変える力である
誰だお前は?
日本の霊として現れた老人(神様)が
神父オゥガンディノに
「まあ 一緒に歩きましょう」
戦国時代に日本で布教しているキリスト神父にこう言った
お爺
「あなたはキリストを広めにきてますね
それも悪いことではではないかもしれません
しかしデウスもこの国へ来ては
きっと最後は負けてしまいますよ」
神父
「デウスに勝つものはありません」
お爺
ところが実際にあるのです。まあお聞きなさい」
そう言って老人は
「中国の礼子や孟子の教え、インドの釈迦の教えも結局は
この国の中では変わってしまった」
デウスのようにこの国に来ても、勝つもはないと断言する
神父
今日も侍が2、3人キリスト教に入信したと反発する
老人は穏やかにいう
それは何人でもキリストに帰依するでしょう
ただ帰依したと云う事ならば
この国の土人(日本人)は大部分がシッタルダー(釈迦)の教えに帰依しています
しかし我々の力というのは、破壊する力ではありません
造り変える力なのです
造り変える力、それこそが日本人の心の奥底に今も生きている宗教感情である
事によるとデウス自身も、この国の土人に変わるでしょう
支那や印度も変わったのです
西洋も変わらなければなりません
我々は木々の中にいます
浅い水の流れにもいます
中略
どこにでも、また何時もいます
お気をつけなさい
お気をつけなさい…..
この造り変える力が日本の霊等の持つ力なら
その力によって守られるべき日本の宗教上の永遠のテーマとは何か?
これこそが怨霊信仰である
そして
怨霊をなだめ鎮めること
釈迦は怨霊も霊もいないと最初は言っていたそうだが
その前提として怨霊が実在し
この世の不幸の全ての原因であること
これが日本の宗教の根本原理であり
儒教、仏教、キリストもこの根本原理の守護神に
造り変えられてしまうのだ
海も自然も人間の都合で
破壊の上便利な今がある
が便利とは何か?
不便だから
時間がかかるから
いいものの方が多い
ま〜ぐちゃぐちゃ言わず
自然界と海に行き
それぞれの宇宙感覚を調律し
響き合わせる
そんなことです