海へ黙っていく
古来の人々が祈りもうけ
自然に何か特別な時間を感じた場所に
お供えをし、勾玉や聖なるタチで祓ったりと
祝詞がどういう経緯と時間で編み出されたのか?
誰が思いつき、考えたのか?
神様の声が降りてきて書いたのか?
それとも神様が普通に隣にいて寝起きをしたのか?
海へ行ったのか?
山で共に狩りをしたのか?
不思議だ
調べると
最古のものは905年に
延喜式に書いてあるそうだが
わかっている書類としては
それより100〜200年前にできていたようだ
日本初期には720年
中臣金連さんが宣る
と
祝詞は宣下(せんげ)
反復するのが寿詞(よごと) 天皇の長寿、隆盛を祝福 呪言的な意味合いがある
精霊を鎮めるのが(いわいごと)
神様を祀り
感謝を伝え
目には見えないが在る
この世の次元とはずれた純粋な生命
また土地に対して
龍神様に
お稲荷さんへ
井戸に対して
六根清浄
神道大祓という持ち歩ける冊子にも
祝詞はその場、その時に溶け合う
多くのバリエーションがあります
教科書は適当なもので、その時代に検証した内容が
新事実により編纂、消去されていくのもいた仕方ない事です
祝詞の本にも般若心経(何となくオールマイティーだと感じます)も
昔の方々は今の僕たちよりも
相当サイキックで、霊力、感受性、交信能力、もすぐれ
人間界の悪や、人の悪い思念、未浄化の霊の供養
をしないと天災や災がおきるとも
地震も増え
軽石も人々の目を海に目を向けていますし
富士山は大丈夫かな?