言の葉

写真の柏原誠 親父が写真の仕事を
キッパリやめて7年後手紙が届いた

戦場カメラマンで水俣病や人々の奥底にひめる光を
表に出してきたユージンスミス

そんなユージンのアシスタントをし
広告写真や人を写したオヤジ

キャパの写真の世界に似ている

波に命を賭す!と決める直前は
キャパ、一ノ瀬泰造さん、小柳次一さん
の本や写真を見ていて

戦場は臨場感と距離感がすごいな
命が消え、カメラマンも命が消えないように
情熱と動物的間で被写体に近づき
50mmの単玉でいく

被写体に近づかなくては

キャパも書いていた

まづは位置が大事だ。

柏原誠も、戦場カメラマンで最後は人(その人の本物、ドキュンメンタリー)を写したユージンの
そばにいたから、何か同じものを感じていたのだろう

オヤジらしい気持ちのこもった
初めての敬語の文章が嬉しかった

写真は単純明快であること

気力体力感性をギシギシ

ロバートキャパ(本人が彼女と広告的につけた偽名で本名アンドレ)沢木耕太郎さんの著書ロバートキャパに詳しくは

当時の憧れ
写真集団マグナムに所属した戦場カメラマン
ライカやニコンで望遠ではなく、50mmレンズで近づいて押していた
最後はインドシナで、危ないと言われながら地雷を踏んで死亡

名取洋之助は自分で撮ってない戦場写真(小柳次一さん撮影)も
所属させると、ライフなど自分のクレジットにしたが
マグナムは違う

キャパは人やヨーロッパ戦線のDadyの写真はぶれながら、現像ミスしても
何かがあると感じる写真だ

熱海の写真も何か人間の力を感じた
だから
僕も本物は戦場にしかない?と感じ

写真の真実は生死にある!

2000年に戦場へ(湾岸戦争)に行く?
と思ったが、パラオで30年前にホームステーさせて
いただいたレイモンドアキオさんの墓前で
 
いや
人の血や悲しみは違うな
パパラッチだな

俺はやはり
海から逃げてはいけないな

海で単純な道具(裸に近い生身)で行き
死ぬ可能性はどこだろ?

?あれ
波の中かな?

そんなことを思い
命は儚いから
死ぬ気でやる!

と墓前で誓いこの波が始まった

人の一言は深い

ここは気にも家だから、パラオのお父さんだから
いつでも来なさい
海へいつでも連れて行ってあげるからね

パラオは小さな島だから何もないけど

と言って大きなシャコガイを
ロープで縛り、中学生の僕に持たせてくれたアキオさん
本当に嬉しくて
今も部屋に

生きてる中で関わってくださった
暖かな先輩方のお気持ちが
迷いそうな道に一条の光を照らしてくれるものです

黙って
やり続けること
あと先、考えず決めたら行く

中途半端は行けない
迷っては行けない
迷わせるのは自分の頭の妄想だから

心配も自分が作る妄想

怖さを感じ
単純明快な身体の動きで
胸から入ること

そして
自然界を祈り
仲間や祖先を憶う

それだけで
人の霊験が上がり
世の中が幸せになると感じたのは

今から1232年に道徳と理念を記した
鎌倉北条はじめ侍の
御成敗式目に書いたように同じ

神さまを敬う人の
純粋な真心にふれ、神さまの御威光は
さらに輝きを増し

神さまのひろき厚き御神徳
のおかげで

人は導かれ運を開く

神さまと人は
一方通行ではなく

お互いがお互いを
高めあう存在である

神は人を敬によりて
威を増し
人は徳によりて運を添う

自然感覚だ

と、こんないいこと言いつつも
800年前の事実は誰もわからないが

憶測では領土や利権の取り合いをした、北条や秀吉や徳川
の武士政権(本当は北条も平和のためだったのだろうか)

国は違えども歴史は違えども
誰もが感じ、憶うことは同じはず

終戦記念日と呼ぶ謎はさておき

こうして命を捨てて
国に殉じ、また戦果に飲まれた方々がいて
今の国土がある事実

そもそも神社は
縁結び!商売繁盛!合格!
など現生利益を願う場ではなく

祈りを通じ合い
たまに神様からの指令を受け動き

自然と過去を敬い、自らを見つめ
浄めはらう場である

極々自然な行為にたち戻れる場である

伊勢は南を向き
出雲は西(夕陽を向く)

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