小さな1滴でいい

出雲
出雲は夕陽信仰

大国主は黄泉の国を祈る神々の、呪詛払い、鎮魂をするシャーマニックな存在とされていた古来

やがて
出雲大社が神集い、縁結び、商売繁盛、大黒様など
民衆の嗜好と興味を引く布教(御師による)を明治維新ごろに始め
時代の変化に対応した

そもそもは天皇に並ぶもう一人の生き神として
宗教的権威と民衆の崇敬の人
千家尊福(せんげたかとみ)さんという方がいらした
今でいう日本国中の人が知る、ダイラマのような存在だった

生涯をかけ自ら巡教し、出雲大社教会は全人口の1割433万人が信者だったという

明治10年代神道事務局神殿で、大社の祭神、大国主大神を祀るか否かで
全国神道を2分する祭神論争が勃発

拒む伊勢神宮の田中頼庸大宮司が伊勢派

尊福の支持者が出雲派
と呼ばれ
13万人以上を巻き込む対立に

収束をはかるべく介入した政府は

「神道は宗教にあらず」
と国家神道路線へ舵を切る契機へ

教法の信念をねじ曲げる政治の力を知った尊福は
自ら教道の守護者たらんとし、政界入りを決意し
埼玉、静岡、東京府知事を歴任した。

天津神と国津神

天津神は高天原とそこから地上に降臨した天照を中心とする神々

国津神は天津神の降臨する前から、葦原中国=地上界にいた大国主大神を中心とする神々

討幕派の王政復古の目論見
により神武天皇が橿原宮で即位し人皇第一代になったという
伝説の回帰を演出し天皇の神権的絶対性を確立すべく

皇居内の紫宸殿に上座を設け
神をおろしをし

そこに招き寄せた、天津神、国津神に対し睦仁天皇が
公卿や百官を率いて誓うという
祭政一致の儀式で発布された
王が神占いや夢の中で聞いた神の声に従い

政治判断をしたという古代に倣ったのである

天津神、国津神の祭祀を司る神祇官が行政を司る太政官より上の官庁
という構図は王政復古だった

政府は神祇官を通じて全国の神社を掌握(管理、上納金など)
天皇が天照大神の子孫だと民衆に広めた

神道の非宗教化へ転換し、もともと出雲、伊勢の二大柱を止め
伊勢、靖国を柱とする国家神道へ向かった

「千家尊福と出雲信仰 岡本雅享著」より抜粋

神様も、人間界の思惑や政治力により
塗り替えられ、勝手な人間様解釈で拝まれている現実

いんだか
悪いんだか

それもこれも受け入れていただいているやら
いないやら

夢のお告げがない以上わかりませんが

天照は神武の伝説があるのだから
天皇は天照の子孫だ
という解釈は荒っぽい

何を言いたかったかというと

古くはヤマト王朝が、侵略と略奪をする以前に
祈っていた古代の出雲族をはじめとする
きな臭い順位や政治とは、そもそも祈りは交わらない

純粋な祈りてたちがいて

この海で天照大神、いや
もっとソリッドにすれば
人間風ではない太陽そのものに対し
感謝と命の循環や叡智に頭を下げていた人々がいたわけです

現実には経島が御神体で、ウミネコのうんこだらけの岩に
鳥居が1つ
日御碕神社の宮司さんだけが、入ることを許される聖域

うんこも自然の1つと考えれば
プラスチックと違うから雨が降り綺麗に自然界にも戻り
海藻の栄養リンを雨海へ

そんな島の中は空洞で
佐州には祈り場の跡や滝のあと
亀の姿に彫った石に
滝が当たるようにした、人為的構造物があります。

海底遺跡としてその研究と発見をしたのは
出雲に1軒だけあるダイビングサービス「アクア工房の岡本さん」
物凄い胆力と海好きな岡本さんと、前回山道の草刈りへ(海底の道のワカメをカマで刈る)

海に御神酒をささげ
祝詞を詠み
貝を吹きました

出雲島根を1週間で500キロ車で波を探しましたが
実際行くと、出雲はあまり波がない
途中、辺中な警戒と監視カメラの島根原発があったり

波がたつ場所は砂地でまづ水が透明でない
神社の関係の方に杏橋さん稲佐のはまでどうぞ
とも言ってくださったが
濁っていました

これは
岩場しかないな
もう波という概念は捨てて
太陽と水を撮る!

大事なのはその場の持つ呼吸
というか雰囲気
見た目もそうだが、感じとる気のようものが大事で

世界中で僕が写すのは
そうした、条件というと人間臭いですが
そうした、古来からの祈りや神様が住まれていて
という目には見えない雰囲気が整った場所

その海の夕陽にかけよう
何も撮れなかったらそもそも

やらなければ0
やれば何かが起こる

そして、島の岩場で写させていただきましたが
とにかく初日は怖かった

岩にぶつかる怖さもありますが
足を海に入れた場からその工程が怖い

聖域というか
生半可な気持ちでくるところではない

これは個人的な感覚ですが
でも、古来の人々が
なにかこの海岸で儀式をしていた?

そんな今だに祈りが続いいているような
空間と水間でした

場所により、神様の島の周囲を埋め立て
くっつけてしまった、コンクリートの防波堤が全てを台無しで悲しい風景ですが

そこに港をそもそも作ったのが間違えで

港がある以上波を避けるには仕方ない!
という、漁民と誰かの力ある発言の公共事業な風景

神様の聖域を破壊した業者さんは大丈夫か?
心配になるほどの工事

伊勢神宮の五十鈴川にテトラポット入れませんが
ここは田舎だから、目が届かないうちに、海洋土木で固めてしまった
のでしょう

わかっている限りでは
夕陽を祈り
天照とその子孫スサノオさんを祈り
数万年?前から祈られた場

出雲では朝日ではなく
1日の終わり
闇がくる=黄泉の国の祈り手大国主さんと祈る

また夕日は1日の始まりでもある
という解釈で

夕日信仰だと言われています

最も朝日は東ですから
山からしか見れません

海に沈む太陽の力は、現代の僕たちより
感受性があった古来の方々は何を感じたのだろうか?
と感慨深いです

ともかく
時代や政治、つまりは神様の後から地球に寄生した
人間様の余計な解釈の昔からの
純粋な宇宙と太陽と海の約束と契約を
思い出す場所は、世界中にあり

ハワイアン、マオリ、アボリジニ、イヌイット、アイヌ
と皆同じ胸のうち

フラやハカ
ティーリーフで石を包み岩や滝壺に置き
貝を吹き、チャント(祝詞)を捧げる胸の内は
同じです

これ以上もこれ以下もない
うちより自然発生する
人間の宇宙への義理とご挨拶に他なりません

現代人という
ネットやテレビの欺瞞の社会

そんな思いを日々忘れずに
胸に憶いを大切に・・・・

僕は1つの方法として
海で泳ぎ、祈る人として
何が変わるとか
世界を変えるとか、ビーチクリーン!ではなく

海に義理と仁義を通したいと思います

そんな見えない小さな1滴を
大海に注ぐことでいいのです

尊福さんの軸のある、神々への憶いを
忘れずに

この宇宙と海は全部聞いて見ています

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