6/4 17:00
村人や食料を引き潮で浅くなった海で降ろした。
子供達はおもいおもいに、浅瀬で遊んでいた。
家族で船で釣りをしていた。
日曜日はキリスト教の関係で,大人達は漁も休み海には入らない。
フィジーも150〜200年前までは、月や太陽や海をはじめとする万物を敬い,祈ってきたそうだが、宣教師の広報活動のおかげで現在は殆どの村人がキリスト教にになってしまった。
昔のキリスト教は自然も敬い,輪廻の思想もあったようだが、今日では信者獲得の名のもとの布教と勧誘法のマニュアル上、そうしたことを排除した。
とはいっても人々は地球とこの全てから恵みを得、また海で遊び漁をしている訳で、
こうした地球や自然から離れる事は心も体も出来ないのだが。
ま〜それはそれとして。
部屋に着くと、ジュラルミンのケースから写真集を出した。
セージを焚き、遥かな沖の波、海域とこの場へ、感謝と祈りを捧げた。
今回はこれをする為にここに来たのだ。
美しい海と太陽がこの人々を守り、美しい時間がいつまでも続くよう・・・・
訳もわからずここにたどり着いた10年前を憶うと、波が写真集というある姿になり
残せたことが不思議だった。
皆様ありがとうございました。