どうなっちやったか?
今日と明日回れるだけ伊賀忍の足跡と
命を終えた場にお祈りにいく
線香、塩、酒、お菓子、花、数珠、錫杖、シャンク貝、カメラ、地図
お茶、ワンカップ酒、柿の葉寿しを背負い
茶がえるで走りまくる
とにかく細い三叉路の道に鳥居だけがある
以前にも社殿がない?と不思議に思った山の神社
道路整備の被害でトンネルを越えると参道とひっそりと
苔むした山あいにその神社はあった。
堀秀政は2300名の兵で甲賀信楽から,民家、寺社に放火しながら侵略した。
861年創建の熊野高倉神社は信長の兵に焼かれそうになる
しかし火をつけると,神殿に突如ひらひらと童子が現れ火を消してしまい
怒った林三郎という武者が斧で斬りつけると
その斧が跳ね返り武者は即死し
焼かれずにすんだという
そのときの傷が社殿にあるそうだが
宮司さんも不在で、社殿は奥だから確認出来ず
がなんだか独特な空気である
童子さんに怒られないよう
貝を三度吹き祝詞を捧げた。
又訪れたいと
心が感じた神社である
皆さんには全くおわかりにならないでしょうが予定です
(伊賀の上忍)服部半蔵の決戦の砦、忍術書の藤林先生(西念寺)決戦の地 比自山 ー 高倉神社 – 伊賀忍音羽の城戸さんのお墓(西音寺)ー 藤林(伊賀の上忍)忍術書の祖さんのお墓(正覚寺)
藤林さんの氏神(手力神社)ー 決戦玉砕の雨乞山砦 ー 敢国神社ー 無量寿福寺 百地三太夫(伊賀の上忍で、昨年偶然長野で知り合った車の大御所カメラマンの親戚)
へあとは流れで