彼岸
かれこれ1時間半位この山の中にいる
この山には彼らの生きた道や無念を知り
祈る人々を彼らは待っているような気さえする
決してネガティブでなく
今の乱れた日本に必要なルーツがある
関ヶ原のチャンバラではない
もっと深い時間が伊賀と甲賀の
山に囲まれたこの地と霧とに隠されて
海ももちろん行っているのだが
ここ最近は,海外にさんざん行った結果
日本の素晴らしさと、高野山も含め
こうした宗教を越えた、聖地の隙間に我々は
生きた振りをしているのだと気づき
全ての生きる行為の中に、波の裏側を泳ぐ行為が
符合していきました
年を重ねることも必要です
書道家の大橋陽山さんが
年を重ねた人となりの書も
見る人が見ればわかるものなんです
芸能書道家はさておき
もちろん基礎がなくては、文字で遊ぶ事はできませんが
経験や基礎が、自由に書こうとする心や
うまく書いてやるという心が
邪魔をするものなんです
と
写真も変に学校や先生に教わり
あの四角いファインダーの構図を覗き込みすぎると
やはりうまい写真になってしまう
あのファインダーというやつは厄介なやつで
物撮りでは仕方ないが
心で思ったイメージを簡単に覆し
頭で考えて押させるので
どうも新鮮さがない
自由な感じがしない
窮屈な1枚になる
富士山やカワセミを撮るおじさんがが
ど真ん中に置いてしまうのも
狙いすぎ
で私事
今年の展示会は「日本だ!」とひそかに日本を泳いでは作品を
集めています。
が難しい!
波が小さい!
水が濁っている!
サーファーが多い!
日本の冬の海は寒い!
透明度を求めるからプランクトンのいない冬が良いのだが
寒い!
愚痴ってみても
展示会の日にちはどんどん押し寄せます
で山にスプレー缶が捨ててる
役所に確認するとご丁寧にお答えが
土木課ではなく、自治会に聞いたところ
山の土地の境を赤く塗った地元のひとらしいが
誰だかは今はわかりませんと。
こんな観音様の霊山で馬鹿な話で
丁寧に穴をあけフロンが抜いてある
罰当たりな誰かが来た跡だけたくさんある皮肉
ジュースの缶やらなにやら拾うと
ゴミ袋いっぱい。
竹やぶを抜けると西蓮寺がある
遠くには伊賀上野城が見える
昔はお城はなく、平楽寺という伊賀の古刹の忍者の軍事拠点があったという
それもこれも信長達が,神仏とも焼き払った為に
その姿を知るのは、山の稜線と空と太陽だけである
しかし
我々が今生きている以上
ご先祖さんがいての事実
お墓といういわばモニュメントで交信所で
見えない世界とその血を祈り
崇めてこれたのも我々日本人である
きょうは彼岸である
三途の川岸のばばあに六文銭払うのがしゃくだな