1枚から

写真1枚が次々と
自分を新たな世界や勇気に向け
背中を押すものだとようやく気づいた

写真は人生を教えてくれます
写真は生きているものです

コダックのVSという低感度のビビッドなフィルムが生産中止になり
コダックは元々軍需産業だから、フィルム事業はやめてもなんでもない
だから、2011年からデジタルにせざるえなくなった

1枚撮って海岸から上がり、すぐ見れて
フィルムより、早い時間で胸が揺さぶられていく
だけどフィルムで散々苦労したから
あれを経験してるのと、してないのでは
写真が違うと思う
余計な楽で余計な安易
余計な写真を余計に押す

ファインダーは見ないで、感覚で押すから
そもそも、何が写ったかわからないんですが
海外の海から現像するまでの数週間後

ライトボックスに光るスリーブを見るのが
ドキドキ楽しみだった

待つこと

昔は青い波に心を押されていったのだけど

今は、もはや波という姿でなく
太陽を水から撮る人なんだから

凝り固まったものが、どこかへ抜けた

そもそも波という物はなく
無い物を写し
観ていた
とある日気づくのですが

無い物
ある物をない場所から
見えやすい形に代わりに表す

人は視覚的に見て押す
対象物が存在して
目で見て、ファインダー見て、考えて押すため
遅い

海の中は普通の撮り方では押せません
自己の思いや念や、思惑は持ち込まない
写真は鋭い瞬間的な行為だと信ずる

あるチャンネルというか
時間のズレにある物を残すのが写真の怖さ

1つの空間というか水間にある階層
の人間には見えない瞬間のズレ
そには水と光だけが入り込める

影の話は朝までかかりそうですから
今はしませんが

祈り
その場や
そこを大事にし
何かを尊び生きた、違うのは時間だけで
ここに同じくいた
昔の人々や神様
その声を聞いていた、海の水や岩

そんな場の持つ力
証人として見聞きしているのは石と水

写真を撮ることと同時シンクロが
光が滞った場や侍や忍たちの供養
神様の丁稚というか指令?
に素直に動くよう心を傾けています

独自の世界観とこの1枚は成り立っています
関係ないようですが
押す人の生き方や生き様も世界観も1枚に多少なりと残ります
が、誤解してはいけないのが、人間界の思念の構図を入れない

祈りと供養って
決して宗教ではないんです
宗教は誰かの(どっかの人間とか絶対な神デウスとか)言ったこと
やったことを、真似したり強制され、誘導され。

新興宗教だと、ひつこく勧誘され、さらっと新聞送りつけられたり、小さな頃から洗脳したり
弱みにつけ込まれたりして

あれらは手段だと思うんです
勝手にやればいい

それぞれ比叡山で、勉強して、修行して考え抜いて
いろいろ参考にして、揉んで、練り上げたその宗教者の世界観
それはそれですごいんですが

じゃ
万人にすっとナチュラルに溶けあう、薬じゃないんです
やはり宇宙と海の自然治癒力にはかなえない

人の教えは定期的に飲まされたり、飲まないといけない感じになる
「自然」天然とかネイチャーではない
自然は不自然な造られた言語ですから、個人的には自然は人間様の型枠に感じます

薬も一時的にケミカルな抗生物質でバイキン殺すことはあっても
ずっとではいけないんです。
体は弱っちゃいます
毒を毒で制するだけです

健康がないと

自然界の見えない魂の呼吸を、身をもって感じ取る力

誰かのためとか
そんな、壮大なことではなく
昔の方々は日本も100人に一人は行者でしたから
祈りの道の霊道というか浄められた神様の行き来する道が
張り巡らされていたんだと思います

そんな数千年続いた、信仰心が明治政府の作戦で
ずいぶんと無理やり絶滅させられたのが今の日本

ある方もこう言ってました
神様とは例えば遠い遠い先祖が神様のようなものです

例えば
自分が死んで500年後に見ず知らずの人が来て
自分が泳いでいた場所やお墓に来て
供物置いて、手を合わせてくれたら
それだけで嬉しいわけです

気持ちなんですね
祈りって、どんな格好でもいいんです
役の行者が白装束着てませんし、木の葉の衣装らしい

念仏唱えればそれが全てを救う妙薬で
他力本願でいいとか
そんなわけないです

独りで旅して悟って
自分さえ良くなればいいのでなく
人救わないといけないとか

それは全く別なことですから
まづは自分
他人は次回です

ライフガードも鍛えないと自分が死にます
他人どこではないです

誰かかから、誰かに伝えると最後の100人目は
違うこと言うように
教科書的に言ったことを伝えていくのは所詮無理なんです

海は冷たい
怖い、暖かい
魚の色綺麗とか
あおい、雨や台風で濁るとか
美しい夕日だなとか
鳥が雨上がりの森で鳴いてるなとか
いいな〜
怖いな〜って
雑味がない陰陽
光と影です

純粋って言葉以上にピュアなんです

人間様の思惑や意志が介在できないのが
宇宙の黄金律で生まれたネイチャーですから
1年、100年経っても感じ方や
香りや水の硬さや柔らかさは
同じなんです

天然の鮎の塩焼きは
やっぱり養殖とは別で
100年後も同じ味なんです
苔の香りがして、臭みがなくて
脂にクセがなくて
海に行って旅して川に戻り清流で苔を食べる
そんなこと数億年やってるから、鮎も修行者です。
だから食べる分だけ捕まえ
命をいただきます
です

やはり自分で
胸で理解し、怖さや美しさは目の当たりにし
体験を積まないとスッキリしない
だから修験という

体験を修めていく

学校は養殖場ですから
粒揃いに言うこと聞く大人は作れますが
いざと言うときには心配です

子供達にやはり海や川や魚を存分に好きになってもらう日本が必要
雨降ったら、バックから安い折りたたみ傘出して
風で壊れてゴミになる

いいんです濡れて
自由自在、臨機応変
宇宙の状況に合わせ変げしないと
地球の環境ではなくこれからは
宇宙の環境をかんなみないと
既に宇宙は衛星のゴミ捨て場らしいですが

地球も大事にできない人が
宇宙を征服しようなんて、マゼランやクックやルイスフロイトと同じ

修験が唯一無二とは言いませんが
自然界を大切にしますし
そこでの体験で、迷いや怖さや乗り越えていく部分は
現代の中では一番鋭く早く体得できる手段と物語だと感じます
最もその過程や、宗派により多少仏教的要素も溶け込んでますが
基本は頭でないんです

金峯山寺の行者さんに会う機会がありますが
本当に皆さんすごい、気合と奉仕の祈りを地球と宇宙へ捧げてます

自分がスッキリ
ふに落ちた生き方すれば
みんな助け合い、心に余裕ができて譲り合います
生きがいのある今に生きてないと
自信も失って
自分の迷路で迷う

正心をつくる
忍術書にもまづは、正心がなければ全てはないと
そこだと書いてあります

プールで早く泳ぐことなんか
選手になるなら別だけど、海では危険でしかない
子供の頃、よくわからない序列と順位社会が本当に嫌いだった
競争させる 勉強も記憶術の大会

学校のブランド力を高める必要最低限の維持するための商売の部分と
子供たちに夢をのバランスが微妙

某環境保護団体と同じで
クーラきいた都会の家賃の高いオフィスが入りますか?
と同じ。

その場や海に敬意を通し義理を通し
惹かれ感じあい、結果ご褒美に心が1枚の写真でゆさぶられる

だからまた、感謝ってきな臭いけど
ありがうとございました
またよろしくです
のループです

人々の未だ残る憶いでを(怨念でも地縛霊でもないです 笑)
大切に整え維持する,共有して次世代へ手渡すイメージ
雑味を加えないこと、食べ物や水や日本酒の供物は大切

神界の指令やら、神様の代わりに動くとか
人間界の言葉だとそこで、祈りとか供養とか
シャーマンとかプロの宮司とかおぼう様とか役目の方がいまして
日本はある意味、祈りのプロの館が
ひしめき合ってる
交番より多い

世界中行ったけど
こんなに綺麗大切にみんなで維持して
神様や仏さんや狐さんや龍神さんや石や木を
数千年レベルで人から人へ大事に守ってる国はない

神社や寺は通信施設の役目
石でも巨大な珊瑚でも木でもいいですが

あーいった荘厳な家があると感情移入しやすいですから
それは大事です

水族館(ネーミングは過激で異常だけど)
あれは海や自然の階段の1段目かもしれない

現実はすごくて
薬撒かれて、失神して弱ったところを網で救われて
酸素つめた狭いビニールで何時間もかけ送られてくる
もちろん到着したら袋のなかで死んでいるのもいる(死着)
ストレスや薬の後遺症や傷

彼らは2度と海に戻れない
家族とバラバラ。
でも狭い水槽で生きていくしかない
島流しより牢屋に近い
イルカはそうした感情があるから噴気孔閉めて自殺すると
確か、イルカの知性を研究していたジョンリリーが書いていた

お釈迦さんは魂も霊魂もないと言ってたようですが
僕は何かはあると思います
言葉にすると誤解とズレを生む何か

思い出とか、その時の想いは
もう1つの周波数の違うというか
パラレルワールド?に記録されてる
そこにアクセスし元に整え
若干の修正はできるかともいます
デジャブがよくあります
あれ?こここのシーン鮮明に夢で見たとか
多い

侍というと
品行方正な武士をイメージしますが
実は士農工商でないですが、威張り、騙し合い、親兄弟も殺し合い
基本領土の取り合いや、利権や神社の奪い合いをしていたようです

今の人より物がない中で
宇宙と呼応し生き、国土の寒さ怖さ強さを今より
厳しい環境で生活し
草鞋の痛さを知理、車も電車もない途方もない距離を
歩いたり修験もし

茶道や坐禅や武勇を練磨したのに
歴史的に今の我々には考えられない特殊な生き方だったんでしょう
利久さんは豊臣
織部さんも家康の嫉妬や恐れで切腹へ
ひどい話です

襖を修めさせていただいた京都の興聖寺には織部さんのお墓があります
僕も今週末は御供養に行きます
どうぞ、その時なら襖絵や織部三畳の茶室もお見せできます

5/7 五男重久 大阪城の戦いで討死
6/11 織部さん72歳と長男 重嗣37歳
6/13 次男 重尚35歳と 三男 重広 28歳
6/24 四男 重行 27歳興聖寺のお墓の前で切腹

お母さんの仙さんは仏門に入り
理不尽な日本にさ様々な思いを胸に
息子たちを祈り続けていたそうです

没後407年後に斬新な織部さんの場へ
青い波の襖がおさまったのもご縁と何かあるんでしょうね

拝むと祈るは何が違うのか?
 
祈る方が自己のことや現生利益ではない
純粋で手裏剣のような厳しい感じがします
中途半端だとやられてしまいますし
拝むって想念や思惑やこうしたい!が強い気がします

神頼みってやつです

小野田寛郎さんは僕は尊敬してます
南の島で、ずっと戦い戦友がどんどん殺されていき
最後は独りでジャングルで
よく健康を維持して、頑張っていたな〜と

精神力をあれだけ維持してきちっと保っていたのは
南の島で寝るときは斜面に寝ていて、あり細くかじられたとか
電池は磁力で放電しないように、頭と尻に漏って大事にしたとか

神仏は信じるが頼らないと言っておられました

投稿のビラを巻いても、戦争が終わったことを伝えに家族も行っても
姿を表さなかった
小野田さんに日本が負けたことを伝え
帰国させたのは、一人テントを張り小野田さんに会いに行き
小野田さんが見つけ不審がりながらも夕陽を背にちかずき
テントに泊まって話した奇跡を起こし
最後は山へ雪男を探しに行き
亡くなってしまった鈴木青年です

その時もマグネシウムのストロボとフィルムでとった1枚の写真が
日本を驚かせました

カメラって何でしょう
師匠は所詮道具よ、
お前さんカメラにとられるんじゃないぞ!

とよく言っていた
本当そうだそうだ!と
自分で言葉にできなかったけどしっくりした

昔は車と一緒で舐め回すように
観てうっとり
鉄でできていて、シャッタ押すとチーンと響く
35mmのCanonNew F1が大好きで
何台もありました

今やプラスチックで数年毎に
メーカーは車と同じく今世紀最高!のでき!と
ワインのようなこと言い放ち
僕らはその犠牲になり買い替えてます

本当はもっといいカメラ作れるのに
ちょっとだししてきます
正直カメラ自体の機能は単純なため

違うのは多分が画素だけ。
あとはそれだけじゃまづいから程度
形もスペック的は何も変えようがないから

そんな愛着湧かないハイブリッドカーのような
デジタルカメラは電気製品です

だからか
俺は明日から
写真家はやめるぜ!
と1999年に写真の師匠 柏原のオヤジは笑いながら
決断の目で言った
あれは斬新だった

1枚がすぐみれ
次の撮影の技術的青写真がイメージしやすくなり
露出やシャッタスピードを組み合わせやすくなった
失敗が減った

酢酸臭い服に穴が開く現像液の薬品や銀も流さなくてすんだ

比例して緊張感がなくなり、単価が安くなり
まとめてちょーだいとか
昔じゃ殴られる、クライアントの暴言も普通になった

プロの腕の見せ所が見せにくくなった。

1枚の価値が落ちた

スタジオでも
あと何枚撮れるかな?と本当に撮れたかな〜
お客さんに分からないように
±2段ずつ押しておこうとか
特にストロボ撮影は怖かった

心臓が強くなった
小さなポラロイドで確認したり、メーターで測ったり
専門的に覚えることも多く、道具も高かったから
カメラマンとしての職人的要素があった

半ば強制的に「これでいいですね!」と小さなポラロイド
お客様に見せたり
して空気で押したり

だけど常に残りの枚数を気にしながら撮るのは、
1枚押す指と心もちがデジタルより大切に
していた

詰め替えるフィルムの本数やポケットに入れた
パトローネ(プラスチックの入れ物)を確認し
撮った物を落としてないだろうな?〜気をつけていたのが
懐かしい
旅の取材なんか落としたら大問題だから怖かった
海外だと税関のX線でフィルムが感光し真っ白にぶっ飛ぶ迷信があって
みんな鉛の袋に詰めていた
あれに入れると中身が映らないとか
挑みたけど輪郭は写ってたけど
中身がなんだかわからなかったし
フィルムだから。X線なしでいいよねと
自分で持ち込んでた

誰かがアルマイトの弁当箱もうつらないとか
セキュリティーが甘かったから

話は戻るとフィルムは
海の場合はいちいち 泳いで陸地まで戻り(20ぷんくらい)
車か宿か岩の隙間や砂に埋めて隠していたフィルムを詰め替えに
泳いで歩いた(とはいえ撮るのも、せいぜい3本で5時間泳いでた)

そんな、当たり前の行動が要らなくなり、そのまま波に集中でき
いつ消えるか読めない波や
枚数が500枚とか撮れるからチャンスが増えた
本当に
信じられないこと

戻るのが当たり前で
たまにフィルムを入れ忘れたり
うまくカメラの中の巻き取りの歯車に噛んでなかったり
びっくりとがっかりが凄かった。

でも自分が悪いわけだし
焦った自分が悪いんだから
忘れて前に

いい憶いでです
3回やらかしました

パイプラインの横で水中ケースが曇り
立ち泳ぎして蓋を少し開けたら
海水を被り海で白煙吹いて
新品のカメラは燃えたこともあります

写真やではないと思ってます
水中写真家とか紹介されてたけど
あれは間違えだった
帰省の言葉や文脈に合わせていた
全っくいけない

箇条書きしたら
海、祈り、供養、ネイチャーへの溶け合い
過去のネイティブ的な感覚の呼び醒まし

だから海伏と言ってます
海武士だと瀬戸内あたりの海賊になっちゃいますし

グダグダ書きましたが

また
頑張ります

伊豆大島へ挑戦!

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