ここは初めて訪れた
有名な伊賀の3人の上忍のひとり
服部半蔵正成の城跡
皇居に残る半蔵門や駅名は
この伊賀の渡来人服部家が、1579年の天正伊賀の乱の信長のジェノサイドで
最後に立てこもった城で、伊賀忍者の和睦に徳川家康に頼んだ義があり
その後の本能寺の変の後に、家康の仲間の信長に恨みを持つ伊賀に生き残った地侍や忍から
護る為に300人の甲賀、伊賀忍者を説得し護らせた
経緯で江戸に伊賀,甲賀忍者をいい待遇で,呼び寄せたのがはじまり
青山,千駄ヶ谷には甲賀町、伊賀町が地名としてもあったはずが
役人のさじ加減でなくなるが
表参道のあたり〜千駄ヶ谷〜麹町周辺には数多くの忍者達が住んでいたようだ。
いわゆるお庭番だから警護である
天皇陛下がいつのまにか
京都のお家からお出かけになり
そのまま江戸城に引っ越し(幽閉?)され
るのは不可思議な現実であるが
ここでも多くの義と血が流れた