1枚でいい
そこに行けば撮れる1枚
そこにいてもさらに何かと合わせないと
撮れない1枚
この数年の写真は闇と光
青い世界は、そこに行けば撮れてしまうから
簡単と言うか、物足りなくなってしまい
青い海から足ひれが離れていった
はじめはそれは恐ろしく
青い波の恐ろしさは
いつも沖で独り胸が潰れる思いを楽しんだ
映像がないですか?
撮ってる映像があるともっと宣伝になりますよ
とありがたいお言葉もいただいていますが
映像はビデオが色を補正してしまうし
だらだらしてしまう
電気や機械がいるが
1枚の写真がその場で、日々見る気持ちや感情で
呼吸し続け、読める1枚になれる
1枚にかける
普段は使えない感覚やフォースを集中し
海へ覚悟を捧げる1枚が自分にはしっくりする
死ぬときは死ぬ
写真屋先生の個性を消した1枚こそ
ずっと見ていられる心地よい1枚だと信ずる
それぞれに信ずるものが
少しあればいい
足ひれも
水中眼鏡も
カメラも信じている
この三つで撮れないのであれば
海へ飛び込んだ意味がない
意味は後からついてくる
五里霧中の武者修行のキッサキにあるのは無
その切っ先を研ぐのは自身の心である
写真は素晴らしい
と僕自身もこれからも教わり続けるでしょう
1枚の写真が居心地良い、自分の部屋にあるだけで
1日の始まりも終わりも
素晴らしいものになるでしょう
そんなことを思いました。