常々動く
改めて
泳いでみないとわからない
と知る訳だが
経験が泳がせなかった
こんな水際の波が崩れる磯で
きれいな形の波はがきたとしても
年に数度、海底の石が時折見え隠れする
浅い磯は危険過ぎ、浅すぎて
撮りたい写真は撮れないと
24年間撮れなかった海で
闇が開けやらぬまま、紅くそまった彼方から
太陽がきた
波なんて、形や言葉にこだわりを捨てて
水面が激しく動いてさえいれば
撮れるのかもしれないな
潮の流れの速い石の海はならば
水は透明なのではないか?
経験と考察や予測の
塩梅は自由にしておく
人間からみたら
自然は予想だにしない美しさと怖さで
ありのままそこにある、海が荒れようが
魚も海鳥もその真理にそっていきるしかない
太陽と海だけが、大昔から変わらない景色を見てきた
古老のような佇まい
人間が唯一
その不文律をぶっ壊している
自然災害は又自然に戻る
壊れても自然物だけだが
めまぐるしい開発という破壊の末の今の暮らしでは
ひとたび壊れたら、放射能や毒の汚染がはじまる
寄せ手は返していた美しい蛇行する海岸が
コンクリートの真っすぐで無機質な壁になり
ペットボトルや釣り糸や空き缶や様々な
人間が作り上げた末に、ゴミになったゴミ
は邪魔ものあつかいで放置され
やがて海に沈んで行く
それでも海は文句も言えず順応してくれたが
海の神様も文句をいいたい時がせまる
今迄陸地から見ていた
目の前の龍宮神社の景色が
風音に吹き流された
覚悟をきめて行く
戻れる可能性も戻れない可能性も
後悔しないように
単純明快な自然の摂理にしたがい
たまには見えないやおろずの神様や
生きている海の時間に頭をさげること
日本人が古来からごく自然に
日々おこなってきた朝のコーヒーのような祈りさえ
絶滅しそうだ