はじめは何も知らざる故

(初心は身に持つ太刀の構えも何も知らぬものなれば、身に心の止める事も無し。
人が打ち候へば、つい取り合ふばかりにて何の心もなし。
しかる処に様々な事を習ひ

身に持つ太刀の取様、心の置所、いろいろの事を教へぬれば
色々の処に心が止まり

人を打たんとすれば
兎や角して殊の外不自由なる事

日を重ね年月をかさね稽古するに従ひ
後は身の構も太刀の取様も、皆心のなくなりて

唯最初の何もしらず習はぬ時の心の様になるなる也

「不動智神妙禄、沢庵」

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