常世の国

代官山ONWARDカシヤマの展示も昨夜で終わりました。

連日カフェは30人待ちの大盛況
シェフ ビクトールさんがつくる、チーズケーキや
こだわりの茶葉やレモンシロップを、緑と光の回廊で
お客様も日常を忘れ楽しそうです

僕も波の撮影へ3月はいきます

お二人のお客様からのオーダーの
写真9枚を焼いてご納品してからですが

天気が不安定なこの数年
なかなか難しく感じてます

ただだでさえ日の出と日没の30分しか撮らないため
これがなかなか、御来光の富士山じゃありませんが
地球まかせです

三脚は使いませんから
暗い海で波をかわしながら
淡い光の水中で
ぶれないように、カメラを片手で握り
ファインダーは見ないで、回転しながら押す!

よくわかりませんが
水中で波に合わせ、間一髪に
知り得ない様な神経や直感を野性的に押す!

海津見神 わたつみのかみ
玉依姫 たまよりひめ
豊玉姫さまも 
海の神様である

彼女は逆巻く海に身を躍らせ、波の穂をふんで
常世の国にいってしまった

では常世の国とはどこなのか?

江戸時代に本居宣長さんは
常世の登許(とこ)は曾許(そこ)に通じるから
底依国 と同じであり

古代人の世界観を構成するもので、底とは必ずしも
下の方向のみではなく

どの方向であろうと、いたり極まる所をさし
遠くは慣れる極限という意だから
底依国は、現実の国土から、遠く隔絶された地域をしめす
とおくはなれて誰もが、簡単には行けない場である

黄泉の国とだぶるが

遠く海の底、どこかにある
相当に美しい桃源郷と意識されてきた

たしかに
あの美しくも儚く怖い海
心地よく、幸せ感に包まれる感覚は
古来からの先人達も知っていたんだな〜

そんな自然に雨合羽も足ヒレも、水中メガネも無い時代
この身と心で必死に生き抜き
自然という贋作な言葉もない、宇宙の事象にそいながら
生きる事が、美しいゆるやかな時間を生みながら、人々に浸透し
ごくあたりまえに祈られて
きたからこそ

頭ではない直感力の高かかった140年前(明治政府の愚行)の人々に刻まれて
神社や道祖神瀧や石を大切にしてきた、説明抜きの団結力や真心が
あるんだろうな〜と
思います

今もどこかに、こんな時代でもよらめく灯火があるはずです
きっとあります

それが常世の国かもしれません

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