2002年から南へ南へ南下し
フィジーの最果ての島と波をみつけた

2001年から命に関わる場に自らを配置して
カメラで撮る必要が胸の湧いて来た

1984年パラオにたった3日だけホームステー
させて頂いたアキヲさん家族の不思議なご縁

そんなオヤジさんの死を感じ

パラオで
命儚く、これでもかと!生きないと駄目だな
と戦場ではなく
波の中へ行ってみようから始まった今

人生は光陰のごとく

様々な分岐点や
無限な選択肢をおざなりにしていた

話をフィジーにもどせば
この島の小さな宿にはなんと
日本人 新潟新発田のサーファーましこさんがいらした

彼に波のこと
を教えてもらい
泳げたことはなによりも心強かった

彼は独り遥か沖の波へパドルアウトし
強烈な壁の様な波に挑んでいた

僕も何度かためしたが
急に海の水が集まりながらせり上がる波は
楽しいレベルではなく
真剣勝負の胸がキュッーとなる波だった

そんな電線も、ビルもない
昔のままの海と山は
いっそうに独特な霊気の様な雰囲気を
ただよわせ

岸へ帰ると決めると
ホッとした

全部が嘘無く
かけねなく

本物の天然の地球だった

今やこうした場は地球から絶滅して行く
環境が絶滅すれば、生き物も潮のながれも変わり

世界はどこへいっても、こぎれいなホテルにレストラン
人工の海岸ワイキキのように、都会の町並みと東京となんらかわらいない日々

空気と海だけがハワイという箱庭に

われわれ日本人も
わらじを捨て
刀やくわを捨て
スマフォに支配され
ジーーズをはいて僅か140年

とりかえしのつかない
地球感のピックルスに

大宇宙=大自然=天然の地球を満喫し
尊ばねば、日本の心なる魂は砂時計だ

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