寄生
延々と続く雨とつづら折りの道を
登ること約3時間半
背中の荷物が本当に重く
独り押し黙りながら登った
暗くなる前の17:00に山寺
日蓮宗の敬慎院に着いた
茅葺きの建物は320年の時を吸い込み
この参道を太陽が駆け抜け
お堂の龍神様を射抜き
出雲大社へその光は向かうという
仕業が今から718年前に創られたのだが
その遥か昔から修験者達が
この山に7つに池に何かを感じ
どうにかして歩いて祈った事実と
時間が下界と閉ざされたこの山麓の窪地に
漂っているのは
誰でもわかる
これが聖域と呼ばれた由縁であり
不可思議な伝承の続く山寺である
たまたま日蓮の「島」であったから
お弟子がこの建造物が日蓮宗だが
空海さんや最澄さんや、親鸞さんが見つけたら
宗派の異なった山寺であるが
高い峯の頂上は同じであるとすれば
宗教の向こうの世界に
仏教が輸入され宣伝される前からある地球感
森羅万象、ネイティブ、アミニズムの
元祖の地である事を
忘れてはならない
宗教は民間寄りで
つまりは人間くささを垣間みれるから
人間界の苦悩と迷いの闇から
それぞれの光を見つける
1つの手段であろう
地球があり、太陽があり
海洋が呼吸する時間の中で
人間が考案した
唯一無二の宗教なんて
存在出来ない事実を
よく観る事だ
この「ある宗教家の人間」の決めたルールは
宇宙や地球の流れとは
異界の世界であり
所詮、はなからそれぞれの角度で差がズレが生じている訳だ
なんていったら
誤解されるが
まづはこの地球に心と体を傾けた結果に
人々の迷いや悲しみを救う為に
編み出された手段だという事だと思われる
この地さえ
この山が
この池が存在してきた
から
この山寺があるのである
人間は地球に寄生している
のだから