波の裏側の旅
タヒチの横ラロトンガ島
雨まじりの沖で
波をやや正面から
受けてから体をひねり込み
シャッターを押す
両目でよ〜く見て
感覚を張り巡らせ
水の中で動き回る訳だが
動画よりも
やはり1枚の写真がいい
長らくフィルムで撮っていたおかげもあり
現像した1枚から読む時間が
そこに生き続ける
電源もモニターもいらない
もっとも波動の水崩が早いのと
はなから四角く作ってしまう意図的なファインダーは見ていない
もしファインダーを見たとしても
この1瞬は眼では見えていない
から
見ても意味がない
どっかの写真教室の「これが良い構図です!」と押しつけの構図と同様
眼で見たら頭で絵をこねてしまう
それは本来の写真の胸で感じた情熱の1瞬とは違う
写真のはらむ危険な欺瞞の迷宮におちいる訳だ
作為がつまった1枚は御免だから
両目で波をじっくり受け入れ
大胆に押す
私意も思惑も捨て
無意識な世界が
もしかしたら涅槃寂静というのか
ここは祈りの場で
方丈で
修行の場であるのは変わらない事実
事実の1瞬をここに
追伸
数日前
海で波に叩き付けられ
鼓膜に穴があいた
鼓膜が破れると気持ち悪さと強烈な目眩いがする
すぐにあがり、様子をみたが
以前のような破れた感じはしなかった為
海へ戻ったが
ごく小さな穴があいているらしい
ちょっとした油断と運の角度と
水圧と風圧でいつだってこうなる
そういえば
音も鼓膜の振動で聞こえるらしいが
水の中ではくぐもった音に聞こえる
水中でも様々な生物の音(ブダイが珊瑚を噛む,シャコのはさみの音などにぎやかだ)
そして胸まで響く波音の雪崩の轟音に包まれる。
地に足がついた浮き世では
感じえない時間に生きている
これを知らなかったら
ここに来なければ知らないままでいた時間がある
旅は心を豊かにする
旅は自然に本当の自分をみせてくれる
波の裏側の旅もいいものです
地球で生きるには、つねにリスクがあるという事実を忘れてはいけない
そのリスクを排除する為の暮らしが
現代の我々の、「ズレた時間」だということも
憶いだしてほしい
そのズレを心で知った時から
こみ上げる楽しさと、無限な幸せとともに
気づけば誰もいない海岸で
1つゴミを拾うもの
募金でも環境保護でもない訳だ
山河の破壊にして我々の暮らしがある現実
では
ゴミとは何か?と言えば
人間の過剰な工夫で作り上げたケミカルな物、
燃やせない過剰な物に他ならない
そもそも自然界にはゴミなんて言葉が
もないのだから
もしかしたら
俺たち人間がジャンクなゴミなのかもしれない
ファインダーという四角い檻に飼われないように