伊賀 忍
ご縁あり
伊賀赤目48瀧を護る,三重県は伊賀の山奥、
天台宗延寿院と
ただならぬ関係になってはや数年
ここは1400年の時間を見てきた古刹で
密教行法や様々な武術や自然感を会得した廻国巡礼、山岳修行を納めた聖(ひじり)
は、赤目瀧衆として法華経を日本の66カ所の祈りの場へ納める旅へでた
これはいわば納経を理由に情報を集めた,伊賀の忍の基地だといわれている
富士、出羽,大山等は山詣りといい
赤目、那智、谷汲,華厳等を瀧詣り といった
その証としての印、御宝印を授かり,持ち帰った訳だ
それをしっていた信長はこの寺を焼き討ちにした訳だ
江戸になると、徳川のおとぎしゅうで、上野の寛永寺、日光東照宮、伊賀上野城などを
プロデュースした,高山公 藤堂高虎の菩提寺になる
彼の配下には松尾芭蕉の父親もいたのだから
松尾芭蕉も何かしらの密使と、金銭のサポートがあり
全国を俳句を作る振りをして、旅した訳だ
羽黒山にも彼の庵があったという
伊賀赤目の山で赤目不動が夢に現れた
天台羽黒の支流に属した万行律師が
駒込の地の庵に安置したのが,南谷寺の赤目不動のはじまり
で藤堂高虎もたちよったという
そして高虎は伊賀の瀧衆の忍の情報を統括し
徳川が帰依した上野寛永寺の慈眼大師天海に報告したという
からこれまた味わい深い時間が上野と駒込と伊賀の山を繋ぐ
きっと天台宗瀧泉寺の目黒不動にも立ち寄った事だろう
無生法忍
生死を超越して、もろもろの煩悩は慣れた涅槃の境地
忍法の絶対境地である
内外無垢、心身清浄、自由自在、融通無碍なり
心は何者にも囚われる事のない「明鏡止水」の境地に到る
波の中もまさにこの境地との行き来である
生きる教えはこの地球と心にある
誰かに言われてやる事でも
誰かの言う通りにする事ではない
地球に心を傾け
想いを伝える事で
自然に正しい行動に
正しい場へ
自然に収まるものだと
忍達は知っていた訳だ