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幼い頃は山口の無人島で魚を網で生け捕る事に命を燃やした
飼えそうで,持ち帰れそうな魚を
取っ手の着いたビニールの入れ物との電池のブクブクで持ち帰った
潮にまみれたまま、うっかり居眠りをすると,電車の中でビニールが傾き
海水がこぼれたりと、それは大変な思い出
でも何故か水槽で長生きせず
なぜ?死ぬのかを知りたくて
頼み込んで近所の熱帯魚やさんに小僧に入った
最初はただで、時給200円から勉強は始まった
そんな13,14歳の時、1977年から美しい生きた自然体験を子供達へと活動された
浜野安宏さんのマリアナフリースクールに参加さえてもらい
サイパンとパラオへ行かせてもらった
間違ったら指が飛びそうなでかい鉈で椰子の実を割り
ちょっと生ぬるくチリットした味の、椰子ジュースを飲み
図鑑のその彼らを見て,水の中で歓喜した!
太平洋戦争で亡くなった方々の慰霊におもむき
北の日本を望む崖で拝んだ
ドイツ〜日本〜アメリカ人の植民地という名の侵略で
他人の土地を土足で奪い破壊し,銃弾も骨も置きっぱなし
で、数万の墓場にされたミクロネシア諸島
天皇制を教育した日本
パラオは、日本が置いてけぼりにした日本食や言葉
と、今でも裕仁天皇の記念切手を発行するなど
他人の家に異文化を強制的に入り込む溝は深い
浜野さんもそんな,マリアナの人々への恩返しをと
あの当時に既に実行されていたのは凄い事だ
世界統一を目論む輩の仕掛けた、宗教戦争の図式は
今も変わらない