不言

日本の波の裏
陰陽
写真的にも全てを捨て
ギリギリうつる瞬間

三脚で撮るの写真やファインダーを覗くと
写真屋のきな臭い1枚に作られる

ねつ造と迄言わないが
その瞬間は写ってない
見たら逃げてしまう瞬間がある

写真屋の写真は
ずっとみていられないのは
写真屋=策者?=作者の恣意と意図が
印画紙に溶け込むからつらくなる

写真はデジタルになろうとも
嘘がつけない

嘘にするのは
作者である

1枚の写真を作品とよんだり
題名をつけるのもはばかるのは

そもそもの風景や波の瞬間に
題名なんてないのだから

題名もあとづけ

あとづけの
より盛り上げる言葉が
必要なのは

『作品』1枚だけでは
飾れない理由があるからだ

宇宙の波動をそのまま
わしづかみにした瞬間を

そのままだす

写真の醍醐味であり
真理であるが

昨今忘れられようとしている

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