忍
波にあこがれ
波を探す旅へ向かい
波を探す
波を観察する
波に向かう心づもりし
遥か沖の波迄泳いでみる
波に九字きりをし、祝詞や龍や天狗の真言,忍の呪文を捧げる
あとはどうにでもなれ!
人生の岐路にいる
人生の最も激しく生きた時間にいる
地に足がつかないおかしな場で
どうしたってあの大波をくぐり抜けないと窒息死である
右も左もない
ただ真っすぐに心に刀を添え向かう
刀のしたに心で忍である
水と波
雪と波
霞と氷
陰と陽
心と体
同じ物であり実は一つ
これを地球の理
真理という
心は本来、水や鏡のようなもであるから
光を照らすのは他人ではない
生きたおじさんが教祖の新興宗教や
キリストじい様達の「あざといズレ」
とは無縁。
あれはどう下駄をはかせて見ても、結局は募金集めのねずみ講である
まーいいやそんな事
下記は伊賀甲賀11人の忍者の秘密をまとめた書
万川集海 (1676年に忍の子孫、甲賀の藤林保武氏がまとめた本である)
訳 中島篤巳 氏のご尽力で現代語訳された
を引用を引用させて頂く
身をかばって生きようとする執着心が邪魔をし
意識分別の罠に陥り
五行の理を忘れ心が迷動し事が定まらず
事物の理もわからなくなって周囲に振り回され
迷宮に陥る
さらに目の前の魔物に恐れおののき
気持ちが動転して手足の動きが乱れ
顔色も失せ弁舌がしどろもどろになる
必死即生
を信じて行動する
死を決心すればかえって難を逃れ
生き延びるものである
必生則死 必ず死ぬという一心で行動すると生きる 呉子
身を守りながら生きようとすると
帰って死ぬ事のほうが多くなる
この理は実に意味深い
思いっきり死ぬぞのと思って動くなら
結局は三忘(意識、分別、計略)の境地に入ると雑念が消え
心の隅々迄明々と定まる
すると物に動じなくなるので
物の理が静止し
鏡に写ったように明らかになる
すなわち周囲に惑わされず、目前の魔物に恐怖心を抱く事もなく
みじんの疑念もなく本心に立ち戻るので
常に機会を見失う事なく
体や心も理にかなって難なく動くのである。
それは盤上の玉、水上のフクベのごとく臨機応変が自在となり
勝ちを求めなくとも勝ち
死ぬべきところも遁れる
生き抜いたというやつだ
う〜ん
まさに
実は僕のは母方の出目は甲賀地方であり
甲賀の忍の足跡をたどり
最近では伊賀でもご縁ができた
今から13年雨前に波の裏側へ泳いで行くという決意と
不思議とネイティブアメリカンの所作と、忍達の地球や心に
対する所作が同じに感じ
泳力や畜養された常識の向こうへいくには
古来の人々の純粋行為と祈りが必要だと感じ
フィジーの海で忍の呪文をとなえていた
これも理であり縁であり天道である
まさに波の中では
信じたくない波が迫るが
ひたすら波と前へ向かいかわすしかない
退いたら死である
そこでは心の軸が大切で
思いっきり行く!中途半端はやられる!
これにつきる
忍者の道は
森羅万象と心や体を会わせながら
精一杯に生きた,日本の大切な正心体系であり武術である
信長や東大寺の理不尽な圧力に立ち向かった
郷土と仲間を護るレジスタンスである
ショー小杉の馬鹿げた茶番映画は虚構であり愚行である
影に生き
光の中で己を探して・・・
ここに行けば瞬時にわかる
迷えば行け!