ご縁の続き

石垣の城跡?はおそらく、忍者百田藤兵衛さんのお城

グングン整備されたような山道の先に

おっ!あった!
噂にきいていた社!
神社かな?


開けてみよう

墓石が!
が蜘蛛の巣と土蜂の巣やら枯れ葉やら

これは掃除道具があるから
掃除させて頂き、供物を置き
貝を吹き、般若心経と九字切り
光がとどこうっていた。
地元の方もあまり来てない感じだ。

山からの帰り、行きがけに御逢いした
地元の神社総代の会長さん宅を探し
御逢い出来たさいに
書類を頂いた

実は心配になり
この社で1時間も僕を待っていてくださったと
車のワイパーに手紙が
あり
御礼をお伝えに
お名前だけをたよりに近くであろうお宅を探した訳です。

そしてお墓はどなたか判明!
なんと
藤堂藩藩主 藤堂高久公 元禄16年建立
元禄16年(1703)4/29江戸にて死去

生前の遺言により
伊賀長田山に

ご廟所は昭和12年迄整っていたが
荒廃が進んでいる

また夫人の酒井雅楽頭忠清女(甕子)さんの石碑も
昭和3年深川の霊岸寺より 移動

これもお導きである

今後もこの地に来た際は
お参りをさせて頂こう。

ちなみに藤堂采恩名歴代墓所はすぐ横の
西蓮寺にあり

このかたの本性は服部であり秦氏であり
壇ノ浦で平家につき亡くなった、忍者服部半蔵家長さんの
子孫であり
(お墓は赤間神宮平家塚に平家家臣ともに)
彼らの生まれた地、お城は伊賀の予野にある千賀地城

私事
千賀地城は僕が数年前から供養と草刈りをしていて
偶然数年前、隣の忍者鷹山さんの城跡の
山から下りて来た際

すぐ近くのかたに声をかけられ
何故か?
服部半蔵ですか?
と真顔で聞かれたご縁で
必ずお参りをさせて頂いている

私事
実は壇ノ浦は父方の田舎
で幼少期はお参りしていた

皆さんのご周知の
服部半蔵正成さんは実は伊賀ではなく三河生まれで
松平家から徳川に使えた方(四谷西念寺が墓所)

ちなみに忍者を使い兵法書を書き
後醍醐天皇に忠誠を尽くした
楠木正成さんのお姉さんは忍者服部家と結婚!
生まれたのが能の後の観阿弥!らしい

私事
藤堂高虎の位牌は伊賀赤目瀧 延寿院にあり
実は初めて伊賀に来た際に何故かお掃除をさせて頂いた。

う〜ん
不思議なご縁

ありがたい皆様の暖かさと地侍、忍達がまっている

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