はじまり

写真集にも選ばれた1枚
フィジーの離島へ,セスナと小舟で向かう事2日
とんでもない
人間を知らない水のかたまりがうごめいていた
あまりの恐ろしさに喉が渇いても水がないから
泳ぐ前に無理に水をたらふく飲んでおく
いってみなければわからないのが、この地球の刻々と変わる瞬間であり
風や太陽の熱などの気象、潮、地形
数億年の途方もない時間が自然に作り上げた景色にいる
山だって元々海の珊瑚であり
誰かや鳥が運んだたねが始まり
36枚フィルムで写してきた時間は2度と味わえないのだろう。
今のデジタルの利便性
つまり
枚数や写した写真をすぐ見て次回に修正(体術的な事)が出来る
コンビニエントで、チャンスが増える事を知ると
フィルムがあったとしても、戻りにくいのが現実だ
波という物は
実は存在しない。
太陽の光の透過と屈折と反射にともなう影が
この透明な波動を明らかにしているようだ
1瞬、暗く黒くなるのは水の泡の影
夜ではなく
赤道直下の水面に暗黒の闇が生まれる始まりがある
決めている事がある
自分に都合良く
写真を引っ張ったりのばしたり
色を変えたりと
最近のカメラマンのような嘘の作為は一切しない
簡素な道具で
簡素な心で
独りで完結して
陸地に戻してもらうのだから
最後まで
人間様の身勝手な押しつけや
思惑の1枚にしてはいけない
心が嘘や迷いに包まれた瞬間
にこの世とはお別れである
そんなことも
独り自分の背中を無理に押しながら
波の裏側へ迷い込んだ日々が教えてくれた訳だ
四角い机や
科学者頭でこねた答えは
そもそもズレている
地球が教えてくれる
体と心で感じた体験こそが
この地球で、いかになんとなく自然に生きるかを
それぞれを
それぞれの
一条の光で導かれていく気がする
なんて
ごちゃごちゃ書いたが
近い未来に
フィルムも現像機械もなくなると聞いたら
なおさらこの1枚が感慨深い
江戸時代の写真をみて驚くなかれ
同じく数百年後には
もうこんなにも美しく
地球をありのままに映し出す風景も
どこにも見れなく時代が間違いなく迫っている
今の地球に誠意のない物の生産と
常に新種を売りつける為の開発や
数億年の時間を埋め立て
汚水を流す日々を
TVで奇麗で過保護な家の中から見ている時間が
加速させている
地球の怖さや,寒さや熱さから遠ざけるのが
今の住宅事情だが
地球の怖さや畏怖を忘れた人々がどうなってきたか?
今は亡きネイティブな人々が語り継いだ伝承や物語に
俺たちは聞かない振りをして
生きた振りをしている訳だ
馬鹿は死ななきゃ治らない から
死にそうな場で
死にそうになりかけ
今がある
始まりがどこかに常にある
その始まりは自分で決める
その始まりをよく観る為に
耳と心を手向ける時間が地球が必要としている
明日から青山のノートンギャラリーで
個展が始まります
15時くらいから在廊しております
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