海伏
山伏にならないか?
と数年前にお誘いを頂いた
しかし
海で祈る海伏と名付けてもいいでしょうか?
恐る恐る、羽黒山伏の星野さんと
吉野山の修験者の方々にお聞きすると
海伏いいじゃないか!〜
頑張れよ〜
と言って頂いた
山伏は少しお待ちくださいと
お伝えしている
昨年、変にまねされ利用されても
いけないから,商標登録をとりなさいとと
ある方に言われ、1年がかりで取りました。
古来世界のネイティブな方達に
いまだに伝わる、貝を吹くなどの
単純で心でシンプルに地球から地球へ伝える行い
行とはよく名付けたもので
人は地球
いや
地球の先にある宇宙と感応しあってきた
しかしながら
それが出来る事に自信を無くし
忘れがちだ
写真は
フィジーの離島で
36枚フィルムで押していた2002年頃
本当に見た事も
居た事もない
怖い波の中で
少しでも怠惰な気持ちを
持ち込んだら死ぬな
と感じました
死んでも構わないが
死に切れない死はいやで
準備と覚悟の中のしかなたい死は
死ではないと感じました
ともかく
巨大な波の中は青かった
せっかく素潜りで遥か沖の波に
独り漂い
あまりの宇宙観に
広大で真っ青な海原で大笑いしていた
体からわきあがる不思議な幸せに自然に笑う
だから
その悠久な時間から残されて来た
人を知らない海へ失礼がないように
色加工もなにもしない
最近の写真はどうだろう
先日、現像所であとからイメージで色を変えたいがため
プリンターの方が写真屋の依頼でエアブラシで塗装をしていた
笑
好みの色と雰囲気で見せたい
のは
ディレクション?と呼ぶのか?
写真と呼ばないでほしい。
写真はそのままその場の瞬間を
残し見せ
何がそこに残り呼吸をしているか?
がいいのに
インスタでも同じく、色をのせまくった
眼ひかせる色彩の写真が氾濫しているのが現実
良いとか悪いではない
これが今の現実。
現実とは何か?
ドキュメンタリーで生きないと
地球には通用しないのだが
人の暮らしが過剰に便利で高速化する
毎秒毎秒
心が地球から離れて行く
幻影を探して旅をするのが写真家
だが
その幻影さえもこのままでは
絶滅してしまう