植木鉢

10数年かようフィジーの離島
5時間ほど国内線を待ち
小さなセスナと船で2時間
あの白波の内側へ行く為に・・・
自然と名付けられた地球の加工されていない存在物
海の水が増えては無くなり
雲が雨が流れ
虹が幾重にも現れては消えていく
あの白波は
この足もとの島があの波の下から崖になっている証だ
厳しい波の衝撃を吸収したおかげで
このピラミッドの時代より昔から
時間を見てきた礁湖(ラグーン)の珊瑚の森林
ここから海へお辞儀ををして
戻れますようにと祈り
独り片手と両足で泳いで30分
足の着かない
あの美しさと怖さの薄氷の中に漂う
わざとわざわざ死にに行くようでもあるが
迷いに迷わされないように
頭で考えた様々な煩悩を捨てながら
感覚を張り巡らせる
これがおそらく
無意識の領域で
そのチャンネルへいく手段の1つ
都会の暮らしの未使用の怠けた感覚や感情を
憶い起こさねば死ぬのだから必死である
殺そうなんて思ってない海
サメだって1匹で泳ぐ巨大なバラク−ダとて
彼らは人を食いにきてる訳ではなく
たまたま出逢った餌である
感覚を総動員しこの大海で口だけで
獲物を齧るのだから
これは凄い技術だと感心する
想像は大事かもしれないが
想像は所詮想像のい枠だ
想像を越えた世界を
その現実をじっと見据え
臨機応変に自らをあわせていく
想像以上に早く岸へ帰るかもしれない
想像をこえた大波に巻き込まれるかもしれない
巻き込まれないかもしれない
それは自分で決めればいい
頭は所詮1個のことしか考えられない
ハッと!思うのは心だから
幼い頃から学校で頭で考えるように養殖された
今までの自分は捨てることを
生死の狭間から
この海で教わった
つまり必死である
必殺の体の人ひねりが命をつなぐ
必殺のジャックナイフが大波をかわす
ちょっとでも迷いか
駄目か?と思うと体の軸がズレ
必ずとんでもない目にあうと知る
体で1度でも知れば忘れない
限界もない
無限な美しさと
手加減のない水の力に
地球への畏怖と祈りを言葉にそっとのせ
誰もいない海で自然に伝えたいと思うようになるものだ
人はそもそも
そうした極限の地球の中で己を知り
地球や太陽に
星々や珊瑚達の巡る物語に
心をそわせていくのだから
ぎゅうぎゅうの町のコンクリートと電気の生け簀の世界じゃ
誰だってそんな事も思わず,周りも空も見ず
弱っちまう
その証拠に人は自然が恋しいから
植木鉢で植木を飼い
水槽で魚を飼う訳だ
フィジアンに日本人が植木を買うなんて
信じないだろうな
こんな虹に毎日包まれ
昔から何も変わらない景色の中
おじいさんや親から受け継いだ生きる叡智を
彼らは知っている
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