うちなる己
今の技術では創れない短刀
これはこの地の25代島津久静に
お嫁に行った際に父より持たされたという
江戸時代後期
備前国長船村 春光,祐定の合作
バランス島目の色彩と凹凸
銀の美しいさや
と鶴が彫られた怖い力がこもった刀
短刀に隠された
小型のさやもものすごい緻密だった
当時は全て手製の錬磨と修行を重ねた
職人の最高の仕事に包まれた日常
江戸時代の人々も文字書きの普及率と
浮世絵を見て驚いたフランス人は
僅か10%未満だったらしく
伊万里焼きの包みにしていた浮世絵もA4サイズで
1枚天ぷらそばいっぱいだから 800~1500円位?か
名品のほとんどがイギリスやアメリカに流出(売り飛ばされ、接収された)
わずか300年でその技術も魂も消えた日本
自然の破壊も江戸時代から甚だしい
明治政府が西洋化と,政治的な裏取引やなにやらで
日本人の持つ義と祈りの呪術力を畏れ
個々の力を封じ込めるために
様々な呪術、ほねつぎ、骨法、武術、修験
仏を燃やすなど
とんでもない時間から140年で今がある
早くて
便利を間違えてはいないか
薩摩忍をはじめ(おそらくはもっと昔から忍とやばれる前から、修験者や僧侶、神官のでいりがあるから
伊賀の忍者の歴史から見ても交流はあったはずだ)
吉野から修験者をよび
蔵王権現を勧請し呪術,祈祷術に正心的要素を
自然によびよせた(熊本金峰山)
島津忠良さんも書いていた
神仏はそとにいるものではなく
それぞれの心にあるのだと