車庫飛ばし
沖縄辺野古の国会質問
ある共産党議員「移設したはずのc-130は沖縄にこないんでしょ?」
防衛省「沖縄にもたまにいくでしょうね」「アメリカの運用だからわかりません」
そりゃそうだ 笑
C-130輸送機の駐機地は岩国でも沖縄で実際に活動
いわゆる車庫飛ばしであるが
飛行機だからそもそも車庫がない訳です
質問と答えが既に茶番なのは
そもそもアメリカの言いなりにならなければいけない
戦争を仕掛けられ,無条件降伏し、戦犯をねつ造され
安保条約にいやいや判を押した時点でのゆがみである
勝てば官軍であるし、もし日本が間違って勝ってたらどうだろう?
僕のじいさんは満州とビルマに2度戦争に生き、奇跡的に帰ってきた
一銭五厘の赤紙で、よその国に投げ込まれあとはよろしく!
現地で飯はなんとかせ〜という結果に多くの兵隊が帰らなかった。
侍精神をゆがめ、日本陸軍の明治時代からの、今の政治と同じく
ノーと言わせない空気と合理性に無理にフタをした突撃精神、
東条英機に戦陣訓を強制されたプロパガンダの結果
皆動けなくなった戦友は、ジュネーブ協定も教えられず
捕虜にもなれず、家族の写真を見ながら自決においこまれ
国の家族には、適当な死亡理由と白木の箱だけが届く
戦争は馬鹿なものだ!と言っていた
話はこの神社へ戻るが、拝む以前に
こんなに昔から大切に護り、祀られてきた社をないがしろにするのか?と感じた
まづ普通の人は来れない
来れないと言うのは看板はあれど
工事業者が東京発電(株)が町?が、
あいまいに立ち入り禁止にしている
七面山の下りで膝ががくがくだ!
栗拾いのじい様の足を、さらに急な山道が後押し!しながら30分
淵を望む高台に八大龍王を祀り、その深いさらに奥の山頂に神社はあった
本尊は「お不動様」と「役の行者」
実はお不動様が龍の頂点、いわば親分である
忍者先生、役の行者は密教と絶妙に溶けあう為
歴史上、お寺上、神社上 ほとんどセットである
なぜ?忍者先生か
京都や東大寺の圧力や抑え込みを跳ね返してきたレジスタンスである
甲賀、伊賀の地侍や農民の彼らが(忍)
隠形の武人の神、摩利支天と行者と不動明王を信仰していた事実や
ようは神仏のご加護と,地球が強い中で誰もが思う自然な精神信仰へと向かったのだ
例えば、天台宗系の伊賀の赤目瀧を護る「延寿院」発祥の
法華経を背負い全国を走破し情報収集をした「赤目瀧衆の行者」や
甲賀の油日神社、飯道神社や岩尾山の山寺にその足跡を今だに見れる
その根源はここでも修験者達でありる。
彼らは割り符なり、ごおう印を特別に持ち、全国を通行手形なしで巡礼できたのだから
忍者がほおっておくわけがない。
昔はどこへ行くにも関所(税関のような場)とパスポートが必要だったらしい
明治政府の唐突な神仏分離と廃仏毀釈まで
うまくゆるく、地球とも絡み合っていたのだが
ある日を境に、数千年に及び、崇め拝み大切にされてきた仏像を焼き払う訳だから
その仏や神様の怒りは相当であり
力を増した政府の強制力は今に生きるのだが
悲しい思いをした人々がどれだけいた事か
この時点で人間の暮らしと地球を,自然という言葉で分離した訳だ
その以前から今で言う政府は、神田の山を削り、水道橋周辺から
江戸城に続く干潟や川や東京湾を埋め立てた徳川の愚行から始まる
人間本意の町づくり?に熱中する
人間がもはや害を及ぼす外来種になりつつある今
余計な事をしないほうが,地球にいいのだから
風力発電や電磁波のハイブリッド車が環境に良いと騙し続けなくてはいけない
ある自動車メーカーと同じである
今地球は傷だらけだ
俺の親父が絶対一番!だ!と
一神教で戦争が起こり
それを伺いながら
日本やフランス、アメリカはじめ多くの文明国がトレンドの武器を広告代理店と作り
武器の見本市を開催!
もう一つのお口で戦争は反対ですと言うのは
見えない机の下で手を握り、見える机の上で指相撲というやつだ。
海を川を埋め立てていく
地球は知っている
地球は生きているから
忍び達はそれを理解していた
それが日本中に呼吸している、目に見えない信仰心である
それを脈々と支える,修験者や僧侶や神主さんがいる
世界にもこんな国は無い
凄い事だと思わないか?
独り地球に分け入り、そこで体験を積む
それが本来のいわば常識である時代から続く
田植えも狩猟も,漁業もそうだ
命を頂く訳だから、ただきます!である
今じゃ自分で何も出来ないくせに
俺たちは好きな時間にスーパーで都合よく、産地を選び文句をたれる。
カリストのひげのじい様が悪いのではない
山河をばっこし,独り修行したおひげの自由人な行者様のほうが
ロマンがあり説得力に満ちあふれているじゃないか
誰かの言いなりの、教科書やテストはすぐ忘れる
心と体を寄り添うように自らを手向けた
体験と実践は心に残り続ける
ま〜信じるものはそれぞれで良いが
信じるものが「者」ではいけない
絶対無二の1つの教祖や教師や者は,ズレとカタヨリに依存していく
絶対とはこの宇宙と地球の呼吸なのだから
今の人間界は物入りだからいろんな種類がでてくる
参加者は皆純粋に迷っているのだろうが
間違いなく答えは他者ではないのだ
黒板ではないのだ
他力ではない
現代の忍と、現代の行者を
神々や地球は必要としているのではないだろうか?
アボリジニやアイヌやイヌイットやネイティブアメリカンを始め
世界中の地球と寄
り添って生きた彼らの教えを
り添って生きた彼らの教えを
俺たちは快適なビルの中で読んだらいい
そして一歩、山や海や川へいけば
美しさと強さと恐怖の中で
心と体に染み入る何かが必ず待っている
数年後
なんだ・・・自分もおなじじゃないか と笑う訳だ