赤間

天草から下関の壇ノ浦へ
子供の頃この山の一軒家に
植物園の園長で画家だったじい様と
魚を目の前でさばく料理の先生ばあさまがいた
一日中水の中で魚を生け捕り
あらゆる種類の魚を市場や露天の婆さまから買ってもらい
新鮮なまま食べる事に夢中だった

ここ赤間神宮も
昔は赤間が関よばれ,神仏習合の時代には阿弥陀寺という寺があり
源平合戦の後に耳なし芳一の物語が生まれる
海には甲羅が顔になった平家がにがいる

この地で平家は滅亡し
勝ったとはいえおおくの源氏、水軍たちが海没した
潮流の早い濁った海

こどもながらに山の家も
犬が変なほうこうに吠えたり
声が聞こえたり
なんだか怖かった

実は平家には,伊賀忍者服部家の祖せんとも言われる
伊賀平内左衛門家長さんも
平家につき戦い亡くなったといわれ
右の二列目にはその墓石もある
裏手の七盛塚

いつも自然に涙がでる

(半蔵は代々継承,鳥取に逃げ伊賀の与野の千ヵ地 城に戻ったとも)

ちなみに皆さんが知る半蔵は江戸時代

今や敵味方ゆるしあい
共に光りに戻って頂きたい

日本人のルーツである

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