信濃
独り旅のお供は
空母信濃の精巧な手製の模型
ロープで縛られた中から
金属の細かいエッジングパーツと
丁寧に何度もエアーブラシで吹き付けられた信濃
プレートには阿部俊雄艦長に捧ぐ
と
ここファイヤーキングカフェオーナー阿部さんの
おじいさんは,その艦長とし
ミッドウェーで航行不能になった空母飛竜
とその先輩である,艦長山口多門
さんに降りる事を薦めるも
艦と運命をともにする
日本海軍のしきたり通り拒否され
命令通りその飛竜に解釈の魚雷をはなつ
やがて信濃の艦長になるも潜水艦の魚雷により
紀伊半島付近で阿部さんも責任をとり
積み荷の特攻機桜花と
艦と運命を共にする
享年48歳
家を出る際
奥さんと子供にいってくるよ
と話すも
戦局も危うい中
もう戻れない事はわかっていたようでした
と
有名な戦艦大和、武蔵と同じサイズで
戦艦が意味が無いと、おそまきながら変装され
空母になったいきさつ
制空権,制海権も無い終戦直前
護衛する駆逐艦も2隻で
そもそもが無理な航行とも
厚い装甲の浮沈空母と呼ばれながらも
雨の中潜水艦アーチャーフィッシュの攻撃で
緩やかに時間をかけ沈んだという
そんな海の男だった
阿部俊雄さんを偲び
きっとじいさんのおかげで
波の展示も14年目を迎えました
もうおじいさんの年を越えてしまいました
ありがとうございます。