変な名前杏橋

宮島へ渡った

数年ぶりに修験の山「弥山」にのぼり
山頂の天狗堂,不動堂や神社にお参りをしたかった。
この間京都の伏見稲荷でみつけた,海や山の神の祝詞集の
練習をかねたかったのだ。
実は父方の先祖は広島の風早という、瀬戸内と山に挟まれた地で
そこの菩提寺浄土真宗「元行寺」の隣にある神社「祝詞八幡神社」
の神主の娘がひいばあさんにあたる。
その神楽殿にいくつもの天狗や龍王を祀る神社がある
ひいじいさんのじいさんまではわかっている
安政時代の 杏橋清助 柳助 三木次 忠次郎 達磨 から僕
このひいじいさん
三木次が飄々とした大工で漁師で今で言う銀行の為替トレーダーだった。
(生前会った事があるが、白いステテコとひげをへそまでのばした仙人のようなじじい)
今の5億円をあつめこの地にインフラや学校などを作ろうともくろむみ
3億ためるもアズキ相場で大失敗!ちんちろりんの1,2,3のごとくかっぱぎである!
昔は駅から幟がたっていたと、未練たらしく話した当時子供だったじいさま
この辺りの山から広大な土地のすべてを失った。
ま〜我欲の為じゃない上、あいつならやりそうだと、笑い話しだと思うも
じいさま達は子供ながらある日を境に逆転したあの風にゆれる幟を夢に見
怒っていた。
で弥山と海に建つ厳島神社へ向かったのだ
参道で何か違和感を感じた。
そもそも聖域で祈りの島だから食べ歩きも禁止なのだが
今ではルールもマーナーもどこへやら
メディアがあおるように、食べ歩き番組を放送したおかげとPR効果がテキメン。
ならば縁日のてきやはいいのか?と言う複雑怪奇な話は置いておき
小豆島から輸入された猿と
過疎化し高齢化した土産物屋を借りる
本土の商人達がたくらむ、ロハスなカフェや
宮島名物とうたう、串刺しの冷凍練り物や,中華まんじゅう
お客は歩いたまま食べた上,土産物屋にはいるという暴挙。
もう聖域でも神社もへったくれもない。
これではあの有名で奇妙な竹下通りと変わらない
今にどこかのプロマイドを売り始める日も近い
もう常識なんて通じないのだから
毅然としたルールが監視カメラのように必要になるのだろうか?
それでも雨にぬれた寺社や木々の緑は時間をずらして美しく輝いていた
思えば母形のばあさんは毛利の関係だから、これまた呼ばれているのかもしれない。
また過日伊賀の山に、300年前の行者のご先祖の足跡を
当時の御朱印帳をたよりに旅する方に出会い驚いたが
その当のご先祖も、ここ厳島に徒歩と手漕ぎ舟できていると後に知る。
今から30年前にホームステーしたパラオのおやじの行きつけの
日本食カープレストラン岸川さん
昨年なにげなく,広島の話になると疎開した先が風早で
うちのばあさん達と遊んだ事があるのよ〜と
杏橋は変わった名前だから覚えてると
ぐだぐだ書きましたが
ご先祖が変な名前でよかった話し。
どこで誰がみてるかわからいから、恥ずかしい事にならぬよう
宴席で回って来たお皿も1つだけつまんで隣にわたそう。
だから旅は面白い。
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